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日立製作所創業者の精神を知る――、「小平浪平翁生誕150年記念展」が開催中

 日立製作所(以下、日立)の歴史に触れることができる日立オリジンパーク(茨城県日立市)では、初の企画展「小平浪平翁生誕150年記念展 『正直者』小平浪平を探る」を開催している。

「小平浪平翁生誕150 年記念展 『正直者』小平浪平を探る」

 同社では、日立グループの創業者である小平浪平氏が、2024年1月15日に生誕150周年を迎えたのにあわせて「小平浪平生誕150周年プロジェクト」を展開。そのひとつとして企画されたものだ。

 小平浪平氏が遺した言葉の数々に注目し、学生時代や趣味に関する展示物を3つの展示室で公開。小平浪平氏の言葉を振り返ることで、創業にかけた想いを浮き彫りにするほか、この精神が、いまにどう受け継がれてきたかを伝える内容となっている。

 日立 グローバルブランドコミュニケーション本部の竹内昌之本部長は、「小平浪平の知名度は決して高くはない。名声や名誉を求める人物ではなかったが、創業当時、電気製品のほとんどが海外からの輸入であったことに対して、国産技術によって製品を作らないと日本の未来はないという志で日立を創業した。この姿勢は、日立グループの社員に脈々と受け継がれている」とし、「企画展では、どういう想いを持ち、どういう言葉を発し、どういう考えで創業したのか。これがいまの社会にどうつながっているのか、未来の社会をどう解決できるのかということを、深く知る機会とし、それを、より広く発信していきたい。これは、若手社員を中心にあがってきた声でもあった。そこで、いま一度、創業の精神に立ち返り、その精神を未来の課題解決につなげることを目的に、このプロジェクトをスタートした。できるだけ多くの社内外の人たちに理解してもらいたい」と述べた。

日立 グローバルブランドコミュニケーション本部の竹内昌之本部長

 日立オリジンパークは、同社の創立110周年記念事業のひとつとして、2021年11月に開設。1910年の創業以来伝承してきた企業理念や、創業の精神である「和・誠・開拓者」を通じて、社会課題を解決してきた歴史を紹介する「小平記念館」、日立の創業の原点として復元した「創業小屋」、日立ゴルフ倶楽部を前身とし、現在6ホールのゴルフコースとして一般にも開放している「大みかゴルフクラブ」、日立ゴルフ倶楽部のクラブハウスとして1936年に建てられた「大みかクラブ」で構成されている。

 オープン以来の2年2カ月で4万3000人が来場。今回の企画展では、常設展示とは別の形で、小平記念館と大みかゴルフクラブで、創業者に関する展示を行っている。

 日立オリジンパーク小平記念館の大金勤館長は、「日立オリジンパークで実施する最初の企画展は、創業者である小平浪平をテーマにしようと考えていた。小平浪平の言葉に着目し、特に、創業者自身が大切にしていた言葉である『正直者』を探る内容にした。常設展では展示していないものを含め、3つの展示室に関連する品々を展示した。来館する人たちに、小平の言葉に関連する品々を見てもらい、誠実さや実直さ、私利私欲がないという小平浪平の生き方、考え方などを深く感じてもらいたい」と語った。

 「正直者」は、小平浪平氏が好んでいた言葉でもあり、その原点は少年時代の母の教えにあるという。生前は自らをあまり語ることがなかったという創業者が残した言葉を丁寧にたどりながら、正直者として生きたパーソナリティや心の様子をとらえ、人物像を浮き上がらせることを目的にしたという。

日立オリジンパーク小平記念館の大金勤館長

 企画展では、幼少期からの生い立ちを探る「正直者 小平浪平の原点」、社長時代の品々を展示した「創業社長 小平浪平」、ゴルフをはじめとする創業者の趣味などに触れる「趣味人 小平浪平」の3つのコーナーに、ゆかりのある品を展示している。

 企画展の様子を写真で紹介する。

日立オリジンパークで企画展が行われている小平記念館
企画展は3つの展示室で構成されている
施設内には小平浪平氏の銅像がある
日立オリジンパークではさまざまなオリジナルグッズが購入できる
創業100周年に植樹されたゴヨウマツもある
このゴヨウマツは歴代社長の連名によって植樹されている

「正直者 小平浪平の原点」

 1874年(明治7年)1月に、栃木県下都賀郡家中村合戦場で生まれた小平浪平氏は、1888年に栃木高等小学校を卒業して上京し、14歳で東京英語学校に入学。四書五経は諳んじることができたという。1896年に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学工科大学電気工学科に入学。蒸気機関から電気へと動力の主力が変わる時勢を捉え、最先端の技術を学んだ。父の惣八氏は49歳で逝去したが、自ら事業を行っており、小平浪平氏は、地域に寄付し、社会に貢献する父の姿を見て育ったという。

「正直者 小平浪平の原点」の展示室
小平浪平氏の生涯をたどることができる
小平浪平氏の生涯を年譜にまとめている
栃木県栃木市にある小平浪平氏の生家
少年時代に使用していた机。小学生のころから、漢学や英語の学校に通っていた
第一高等小学校4年級修行証書。1888年のものだ
1887年、生後半年のときに天然痘感染症を防ぐワクチンを接種した際の証明書も展示。150年前の資料がきれいに残っている
第一高等学校の修学旅行証
第一高等学校での物理レポート「宇宙之組成」
1898年の東京帝国大学の献立表。小平氏が取っておいたものでいまでは貴重な資料のひとつだ
東京帝国大学時代に描いた製図
1900年に大学を卒業した小平氏が最初に勤務した小坂鉱山。発電所や高圧変電所の設計、工事を行っていた
学生時代から逝去する直前まで日記を書き続けており、80冊以上が残っている。大学時代までの日記は「晃南日記」と呼び、「晃南」には生まれ育った場所である「日光の南」という意味がある。きれいな文字で、きちょうめんな様子が窺われる
展示室のガラスには創業者の言葉が掲示されている
「日立精神はつぶれはしない」という言葉もある

「創業社長 小平浪平」

 自らの力で電気機械を製作したいという学生時代からの志を胸に、1910年に日立を創業するまで、さまざまな発電所や鉱山で経験を積んできたという。小平浪平氏は、「日本で使う機械は、われらの手で作らなくてはならない。日本人は決して外国人に劣るものではない。機械でも、出きぬではなく、造ろうとしないのだ」と指摘。「やせても枯れても、自分で作ってみたい」という固い意思で、国産の5馬力誘導電動機の開発に挑んでいった。

大みかクラブ内の「創業社長 小平浪平」の展示室
社長時代に使用していた机。小平家に保存されていたという
小平浪平氏による「正直者」の色紙
1912年(大正元年)10月の日立のカタログ
展示された額には「披心示誠」の文字
あまり自らを語らなかった創業者だったが訓示を録音したレコードも展示されていた
1910年の創業時から使用していた印鑑。さまざまな重要案件の決定の際に押されたものだ
小平浪平氏の名刺。1949年以前の英文社名は「HITACHI ENGINEERING WORKS LTD.」だった。いまは「HITACHI,LTD」である

「趣味人 小平浪平」

 小平浪平氏は多くの趣味を嗜(たしな)んでいたという。それは親の勧めによるものであり、子供や日立の社員にも、同様に趣味を持つことを奨励していた。

 小平氏は、大学進学のために家を出ることになった息子の俊平氏に、「誘惑に勝ち、高尚なる心境を保持するには、なんらかの書見を持つを必要とす。運動、文学、絵画、写真、音楽、いずれも可なり。要は其趣味に耽溺せざるにあり」と語り、趣味を持つことの重要性を説いていたという。

趣味の品々は大みかクラブ内の展示室に展示された
趣味で収集した品々が展示されている。晩年には上野の美術屋に足しげく通ったという
こちらにはゴルフで獲得した賞品なども展示
小平氏が愛用していた眼鏡
自宅で使っていたというひげそり道具
晩年に愛用していたまさかり。安来鋼で作られたもので、友人に勧めるほど気に入っていたという
1947年にGHQにより公職追放となったが、1951年追放解除。祝賀会が行われた様子
公職追放解除のお祝いに全社員に配られた手ぬぐい。「以和為貴」の文字が書かれている
50代からゴルフに夢中になったという。企画展にあわせて等身大のパネルが用意されている
大みかクラブから見るゴルフコース。よく見るとバンカーの横に小平浪平氏のパネルが置かれている

創業小屋

 小平浪平氏は、1906年に東京電燈の送電課長の地位を捨て、創業直後の日立鉱山に入社。工作課長として、土木、機械、電気に関わる一切の仕事を担当したという。鉱山で使用する電動機や変圧器の修理を行っていたのが小屋の役割であり、大雄院電車停留所のそばに移転した際に、創業製品となる5馬力誘導電動機の製作が始まった。

1910年に建てた創業小屋を復元した。もともとは余った板で作られたもので、屋根の角度から尺貫法で作られたものであることがわかるという
小平氏は輸入が始まったばかりのカメラを購入して創業小屋を撮影した。これが唯一残された創業小屋の写真だという
創業小屋の内部の様子
1911年に製造された5馬力誘導電動機。現存する4台のうちの1台で、いまでも動かすことができる
100kW同期電動機および75kW直流発電機。1914年に日立鉱山に納入され、交流と直流の変換を行い、鉱山電車の電源に用いられたという
創業小屋では誘導電動機の組立や修理が行われていた
材料倉庫の様子。エンパイヤクロスやマイカテープなどの材料が置かれていたという

単にビジネスの結果を追求するだけでなく、社会に貢献する姿勢を持っていることが大切

 日立オリジンパークで行われた説明会では、日立の徳永俊昭副社長が参加。日立市出身である徳永副社長は、小学生のころから、オリジンパークの前身となる旧・小平記念館によく訪れていたことを明かしながら、「2023年12月に、日立市とのスマートシティプロジェクトをスタートしたこともあり、日立市を訪問する機会が増え、オリジンパークを訪れる機会が増えている。困難に直面したり、悩んだりしたときに、創業者の言葉に触れて、勇気をもらうことがある」と語る。東京・大森の徳永副社長のオフィスの机には、いつでも創業者の言葉に触れることができるように、それらの言葉をまとめた冊子が置かれているという

日立 代表執行役 執行役副社長の徳永俊昭氏

 今回の企画展では、創業者の言葉に着目することがテーマになっているが、徳永副社長は、「決して唯単なる金儲けばかりやっているのではない」という、1935年に新入社員に向けた訓示のなかで発した小平氏の言葉と、「日本の工業を発展させるためには、それに用いる機械も外国から買わず、自分自身で製作するのがよい。日本人にはそれをつくる腕前がある。できないのは、できないと頭から決めてやらないからである。やれば必ずできる」との、創業者の信念を示す言葉を思い出すことが多いという。

小平浪平氏の言葉には社会貢献を前提とする企業姿勢が感じられる

 「単にビジネスの結果を追求するだけでなく、社会に貢献する姿勢を持っていることが大切である。日立にはお客様や社会の課題を解決し、社会に貢献するという基本理念があり、日立精神が根づいている。いまではグループ社員の半数以上が国外だが、そこでも強い共感を得ている言葉である。GlobalLogicのシャシャンク・サマント会長が、日立グループに加わることを最終的に決断した決め手は日立精神への共感であった。日立精神は、国境や文化を超えて、共感と信頼を獲得し、日立グループのグローバル成長の礎になっている。そして、日立も113年前にはベンチャー企業であり、その気持ちを忘れてはいけない。東京電燈での栄職を投げ捨てて、茨城県の山の中に創業小屋を建てて、新たな世界に飛び込み、自らやればできるということを実証した創業者の言葉は、いまの日立にとっても大切な姿勢である」と語る。

 説明会では、GlobalLogic のサマント会長もメッセージを寄せ、2021年7月に日立グループ入りした際のエピソードについて言及。「小平氏が確立した日立の創業精神による価値観を、私たちとのやりとりにおいて、明確に感じることができた。この価値観が日立全体の組織や従業員に、単なる言葉だけでなく、実践として浸透している様子に驚かされた」とし、「小平氏は、エンジニアであり、賢者のような先見の明を持ち、110年以上前に日立の使命を掲げた。それは優れた自主技術、製品の開発を通じて、社会に貢献するというものである。日立の技術とイノベーションが未来を形づくり、私たちの生活を豊かにしていることを目の当たりにしている。GlobalLogicが、この長い歴史の一部になることに喜びを感じている」と述べた。

ビデオメッセージを寄せたGlobalLogic のシャシャンク・サマント会長

 なお、日立では、「小平浪平生誕150周年プロジェクト」として、今回の企画展以外にも、さまざまな取り組みを開始している。

 生誕150周年記念ロゴマークを作り、これを使ったTシャツを制作。日立初となる公式LINEスタンプも発売し、「拝承」「多謝」などのあいさつや、小平氏のモットーである「正直なれ」などのスタンプがある。LINEスタンプは120円で販売中だ。また、公式SNSやオウンドメディアによる情報発信も行っている。

 「LINEスタンプの販売数量は、3日間で1000件を超え、間もなく2000件に到達する」(日立の竹内本部長)という。

 なお、企画展「小平浪平翁生誕150 年記念展 『正直者』小平浪平を探る」は、2024年夏頃までの開催を予定している。常設展とともに、日立グループの創業者に触れるいい機会になるといえる。

 日立オリジンパークの開館時間は午前9時30分~午後4時。休館日は、水曜日および祝日。2024年4月から休館日が月曜日および祝日に変更する。入場は無料。予約も不要だ。

小平浪平生誕150周年プロジェクトを展開している
小平浪平生誕150周年プロジェクトとしてさまざまな取り組みを開始している
LINEスタンプ「生誕150周年 毎日使える!日立の小平さん」
150周年記念ロゴマーク入りTシャツ