大河原克行のクローズアップ!エンタープライズ
「近大マダイ」の養殖にマイクロソフトのAIを活用 近畿大学水産研究所の現場レポート
2019年2月15日 06:00
日本マイクロソフトと近畿大学水産研究所(以下、近大)、豊田通商は、AIやIoTなどを活用した「稚魚自動選別システム」を開発。これまで人手に頼っていた養殖現場での稚魚の選別作業を効率化した。
近大では、「近大マダイ」の稚魚の養殖における選別作業で、これを活用。2018年8月から実証実験を開始し、2018年12月からすでに実用化している。
このほど、和歌山県白浜町の近畿大学水産研究所を訪れ、その様子を取材する機会を得たので、現場からレポートする。
年間で2000万尾のマダイ稚魚を養殖
2002年に、世界初となったクロマグロの完全養殖に成功し、「近大マグロ」のブランドでも知られる近畿大学水産研究所は、和歌山県白浜町にある。
大阪・天王寺からはJRで約2時間かかるが、羽田空港から飛べば、1時間20分で南紀白浜空港に到着する。空港からも車で約10分と近い。地の利は、大阪からよりも東京からの方が便利かもしれない。
1948年12月に、近畿大学の前身である大阪理工科大学の白浜臨海研究所として開設された白浜実験場は、1953年にハマチの養殖試験を開始し、その後、マダイ、カンパチ、シマアジ、イシダイ、ヒラメなどの養殖種技術を開発。魚類を飼いならし、それらを親に育てて卵を採り、仔稚魚を育成する「完全養殖」では世界的に先行した研究機関だ。
また、海水魚の選抜や交雑による育種の研究にも取り組んでいるほか、1954年から開始している「網いけす(小割)式養殖法」は、現在、日本の海水魚の養殖の主流の方式となっており、世界にも普及しているという。
近畿大学水産研究所では、知名度が高い「近大マグロ」のほか、多くの魚種の養殖研究を行っているが、そのなかでもマダイの養殖研究は重要な柱のひとつになっている。
現在、近畿大学水産養殖種苗センターでマダイ稚魚を生産し、大学発ベンチャー企業であるアーマリン近大を通じて、全国の養殖業者に販売。すでに、年間生産量は約1200万尾となり、その規模は、日本全体の24%を占めるという。
今回取材をしたのは、この「近大マダイ」と呼ばれるマダイの稚魚の養殖において、日本マイクロソフトのMicrosoft AzureおよびAIを採用することで、選別作業の効率化を図っている事例だ。
近畿大学水産研究所が管理するマダイのいけすが広がる和歌山県・白浜町の田辺湾では、年間で2000万尾の稚魚を養殖。そこから選別して、年間1200万尾が、全国190社の養殖業者に出荷されている。稚魚の出荷時期は冬と夏の2回で、1日の出荷量は20万尾にものぼる。アーマリン近大の売上高は約30億円。そのうち約7割を、近大マダイを中心にした稚魚の出荷が占めるという。
近大マダイの養殖は、まずは水槽のなかで、3cmほどの大きさにまで生育させ、この段階で、いけすに放つ。数カ月で8~10cmの体調にまで生育すると、稚魚としての出荷が可能になる。そこで選別を行い、出荷するという仕組みだ。
なお、一部の稚魚は近畿大学水産研究所がそのまま生育。約2年をかけて1.6kgほどの大きさになると、「近大マダイ」として、直営店に卸したり白浜町および近辺のホテルや旅館などに卸したりしている。
地道な作業となる稚魚の選別作業
稚魚の選別作業は、地道な作業である。
湾のなかに広がるいけすに設置した、いかだの上で、繁忙期には、昼の休憩を挟んで、午前9時~午後4時45分まで作業が行われる。
約30万尾が入ったひとつのいけすと、作業を行うためのいかだをつないで、ポンプで稚魚が入った水をくみ上げ、それを4つのベルトコンベアーに流し、ひとつのレーンあたり、3人の作業者がついて選別作業を行う。
「マダイの稚魚を出荷する前には、短躯症と呼ばれる形の稚魚を取り除いたり、生育不良のものを取り除いたりといったように、基準を満たす魚だけをえり分ける選別作業が必要であり、これを専門作業員が行っている。その選別作業は目検と手作業で行うため、専門作業員の高度な経験と集中力が要求され、作業員自身への体力的負担が大きいという課題があった。そして、それとともに、ポンプの流量調整作業にも大きな負担がかかっていた」と、近畿大学 水産養殖種苗センター種苗事業部長兼白浜事業所長代理の谷口直樹氏は語る。
熟練が求められる作業をAIで自動化
そうしたなか、2017年に近畿大学水産研究所に事業見学に訪れた豊田通商 IT戦略部 ITコンサルティンググループの余郷愛吉グループリーダーは、谷口事業部長に現場での困り事について率直に聞いてみた。
そこで返ってきたのが、ポンプの流量調整における課題であったという。
実は、稚魚の選別作業において重要な役目を担うのが、ポンプの流量調節だという。
吸い上げる水量が多すぎると、ベルトコンベアーを通過する稚魚が多すぎてしまい、選別作業が追いつかない。一方、吸い上げる流量が少ないと含まれる稚魚の数が少なすぎ、全体の作業効率が落ちる。微妙な調整が求められるため、ポンプの流量調節の役割を担うのは熟練の作業者に限られ、近大マダイの養殖場では、わずか3人だけがこの作業を担当できるにすぎない。
作業者は常にコンロトローラを所持。ひとつのポンプから4本のベルトコンベアーに対して、稚魚を適正な量で供給するために、台の上に乗ってパイプの状況を上方向から見続け、稚魚の流量を確認し、コントローラを操作する。
いけすからの稚魚の吸い込み量が少ない場合には、それを指示し、改善させるといったことを繰り返す。終日一人でこの作業を行うという、まさに選別作業所の指令塔としての役割を担う。
「スキルの高いスタッフを長時間の単純作業から解放し、より本質的で高度な作業に振り向けたいという狙いがあった」と、近畿大学の谷口事業部長は語る。
余郷グループリーダーが所属するIT戦略部は、主にAIやIoTを活用した社内業務の改革などを中心に事業を進めてきたが、それらの経験をもとに、この課題を解決できる可能性を感じ、すぐに日本マイクロソフトに話を持ち込んだという。豊田通商では、パプリカの栽培に関する効率化においてもIoTの活用に取り組んでいた経緯もあり、第1次産業でのAIおよびIoTの活用に関心を持っていたことも、これを後押しした。
話を聞いた日本マイクロソフト グローバル事業本部 オートモーティブインダストリーダイレクターの内田直之氏は、すぐにアルゴリズムの開発に着手した。その結果、2018年8月から実証実験を開始。ベルトコンベアー上の魚影面積とそのすき間の面積をマイクロソフトのAIによって画像解析を行い、一定面積あたりの稚魚数を分析。さらに、選別者の作業ワークロードを機械学習させ、作業のための最適値を割り出して、これまで人手で行っていたポンプの流量調節作業を自動化したという。
開発において、豊田通商は、マグロ養殖事業をはじめ、近畿大学水産研究所との連携によって蓄積した具体的な選定プロセスの知識と経験をもとに、自動化システムのハードウェア設計とプロトタイプの構築を担当。日本マイクロソフトは、目視作業の要件をもとに、「Microsoft Azure」のIoT機能や、AI機能である「Cognitive Service」や「Microsoft Azure Machine Learning Studio」を活用することで、ポンプの流量調節をリアルタイムで自動化するシステムを設計、開発した。
実証実験を通じて、データの収集および分析を行うととともに、それをもとにポンプ制御システムを改良。当初は、2019年3月からの本番稼働を目指したが、それを約3カ月前倒しして2018年12月から本番稼働。冬の出荷シーズンの開始に間に合わせた。
だが、この間、いくつもの壁にぶち当たったという。
日本マイクロソフトの内田氏は、「最初は、パイプのなかを流れる稚魚の形をとらえて、それを認識して数を算出しようと考えた。魚の形に切った紙をバラまいて、それを認識するといったアルゴリズムから書き始めた」という。
しかし、現場ではそれがまったく機能しなかったという。「流量をあげると稚魚が泳ぎ始め、それを数として認識することができなかった。また色調分析をしようとしたが、マダイといっても稚魚の身体は赤くなく、それも効果がなかった。魚の習性を理解できていなかったこと、現場の状況を知らなかったことが原因だった」と振り返る。
その後、内田氏は何度も現場に足を運びながらアルゴリズムを書き換えたが、なかなか効果が出なかった。そこである日、発想を大きく転換してみた。面積という枠のなかで、稚魚の数を算出する方法にしたのだ。カメラで映し出した200×480ピクセルのなかで積分を行い、そこから稚魚の数を算出する方法に変更したところ、高い精度で検出できるようになったという。
この仕組みにたどり着いたのが、2018年7月のこと。2018年8月から実証実験を開始することができたのは、この発想の転換がきっかけになっている。
実証実験開始以降もアルゴリズムに改良を加え、精度や使い勝手を高め、2018年12月からの本番稼働をスタート。その後も現場の要望にあわせて改良を加えている。実際、取材当日も取材が始まる前に、内田氏はいかだの選別作業所にPCを持ち込み、改良を加えていた。
現場との協力で最適なシステムを構築
一方で、カメラによる魚影の撮影システム、流量の制御装置などを担当した豊田通商の余郷グループリーダーも、同社の機械設計や電子回路の部門の応援を得ながら、試作を繰り返していた。
「防水や防塵対応のカメラを使用するとコストが一気に跳ね上がる。第1次産業の現場で多くの投資をしても、回収までに時間がかかるような仕組みでは意味がない。現場の声を聞きながら、最適なものに組み上げた」という。
例えば、カメラは市販のWebカメラを利用した。防水用のカメラに比べると約10分の1のコストで済む。「壊れたら、アマゾン・ドットコムを通じて注文すれば、すぐに手に入る低価格のもの」と笑う。
それをアクリルの板で囲み、防水対応している。本番稼働から2カ月を経過しているが、アクリル板は透明のままで、問題ない。カメラ動作にもトラブルはない。もちろん、アクリル板に曇りが出るようなことがあれば、これも簡単に交換することができる。
魚影の撮影においては、人手で流量を管理していたときと同じように、最初は上方向から魚影を確認するようにしたが、それよりも横方向から撮影した方が認識しやすいことがわかり、横方向にカメラを設置。撮影環境の安定化と防水対策のために、これを金属の箱で囲う形にした。
流量を確認するために2つの箱を設置し、繁忙期には1秒ごとに撮影。それぞれに2つのWebカメラを配置しているという。
また制御装置には、産業用PCをエッジコンピュータとして利用。ここから無線LANによって、Microsoft Azureにデータをあげて分析し、それをもとにコントローラを制御して、流量をリアルタイムに変更する。
「近畿大学水産研究所がデータの収集において、全面的に協力をしてくれたことが大きい。出荷作業を行わない日にも1000~2000匹の稚魚を残してくれ、それを使って、データ収集のためだけに選別作業を行ってくれたことが3回ほどあった。こうした協力体制があったからこそ、短期間での導入・稼働が可能になった」と、余郷グループリーダーは語る。
日本マイクロソフト クラウドソリューション事業本部インテリジェントクラウド統括本部グローバルプラックベルトセールス IoTリューションスペシャリストの徳増宏司氏は、「現場に最適な形でAIを活用するには、データが必要。だが、必要なデータはこちらから取りにいかなくてはならない。その点での協力体制に近畿大学水産研究所に感謝したい」としながら、「AIのアルゴリズムの完成度を高められたこと、制御装置の開発も短期間に完了したことで、本番稼働を前倒しできた。冬の出荷シーズンにあわせて本番稼働できたのは、近畿大学水産研究所と豊田通商、日本マイクロソフトの連携がうまくいった成果によるもの」と総括する。
次のステップにも継続して取り組む
ただ、この取り組みは、これで終わりではないようだ。
近畿大学水産研究所では、次のステップとして、現在は目視で行っている生育不良の個体を取り除く作業においても、画像解析と機械学習を組み合わせて自動化することを目指すという。
「時期については明確ではないが、選別作業にAIを活用することで、ベルトコンベアーでの作業者を3分の1にまで減らせる可能性がある。それによって、より高度な作業に従事してもらったり、ベルトコンベアーを3倍となる12本に増やしたり、あるいは、作業時間を短縮化できるといったことも可能になる」と期待する。
選別作業を自動化、機械化することで、作業員の業務の負担軽減や業務改善につなげるほか、経験を持つ優秀な人材を新たな分野で有効活用することで、若手の人材確保に悩む漁業での働き方改革に貢献できるというわけだ。
さらに、いけすの網の効率的な補修などにもAIを活用するなど、さまざまな領域での応用を思いめぐらしているという。
「現場での課題はいくつもある。第1フェーズでの課題が解決したことが自信となっており、今後、さまざまな領域での活用を期待したい」と語る。
一方で、日本マイクロソフトの徳増氏は、「この事例をもとに、第1次産業のような労働集約型産業において、AIとIoTを活用したさらなるソリューション提案を行っていく」とコメント。
日本マイクロソフトの内田氏は、「稚魚の流量をもとにしたデータ収集および分析、制御の成果は、エスカレータや道路の通行量における解析、制御などにも応用できそうだ」とする。
また、豊田通商の余郷グループリーダーも、「オフィスの働き方改革やデジタルトランスフォーメーションにも、今回のノウハウが活用できそうだ」とも語る。
そして、近畿大学の谷口事業部長も、「私たちだけでこの実績を独占するつもりはない。日本の水産業界の発展のために活用してもらえれば、それは私たちにとっても大きなメリットになる」と語る。
こうしてみると、近畿大学水産研究所、豊田通商、日本マイクロソフトの今回の取り組みは、この成果をもとにしたこれからの発展こそが、これから注目されることになりそうだ。