ニュース
デジタルサイロを解消していくことが今後もVMwareの役割――、ヴイエムウェア日本法人20周年の節目で山中社長が言及
2023年4月14日 06:15
VMwareの日本法人であるヴイエムウェア株式会社が、2003年5月12日に、設立されてから20周年の節目を迎えるのにあわせて、同社・山中直社長が新たな方針について言及した。
山中社長は、「2022年にはVMware Ariaによって物理分散、論理統合の環境をひとつのコンソールから管理する新たな抽象化レイヤーを定義し、VMware Tanzuにより、マルチKubernetes環境の抽象化を実現するなど、抽象化レイヤーを上下方向に拡大している。2023年はこれをさらに広げていくことになる。日本においてはエッジの領域への取り組みを立ち上げるほか、日本の市場に数多く存在するレガシープラットフォームに実装されているワークロードを、VMwareのテクノロジーを活用して、分散アーキテクチャー、高可用性、セキュリティを担保しながら、コストを急激に削減できるレガシープラットフォームモダナイゼーションにより、Software-Defined Data Centerに実装し、機敏性を持ったITシステムの実現を支援する。今後も、デジタルサイロを解消していくことがVMwareの役割になる」と述べた。
また、「日本法人は20歳になり、ようやくお酒が飲める年齢の会社になった」と比喩。「日本のお客さま、パートナーに支えられて20年を迎えた。日本法人は米国本社と近い関係にあるのもVMwareの特徴のひとつである。CEOのラグー・ラグラム自身が、日本のビッグサポーターである。今後20年も、お客さま、パートナーの支援を賜りたい」と語った。
16年前にヴイエムウェアに入社した山中社長は、当時は4人だけだったという金融担当の一人として、同社でのキャリアをスタート。「当時の金融業界では、仮想化という言葉が若干怪しくとらえられていた」と振り返りながら、「第1章となるサーバー/デスクトップ仮想化の時代においては、サーバーがベンダーにロックされている状況において、vSphereによりマルチベンダー化に進む環境を提供し、サーバーに選択の自由を提供した。そのテクノロジーが第2章において、ネットワークとストレージといった、データセンターを構成するコンポーネントすべてに仮想化が広がるSoftware-Defined Data Center/Digital Workspaceの時代を実現し、ハードウェア全体に選択の自由を生み出した」と述べた。
そして、「第3章では、VMware Cloud Foundationによって、AWS、Azure、Google Cloud、Oracle、IBMのほか、日本のクラウドパートナーと連携することが、クラウドのサイロを取り払うことになり、ハイブリッドクラウドやマルチクラウドにおける選択の自由を実現した。新たな章となるのが、クラウドカオスに陥ることがなく、従来のワークロードの仮想マシンと、コンテナによる新たなワークロードを最適なところに展開し、統合的に管理を行う物理分散、論理統合を実現する環境である。これをクラウドスマートの時代と呼んでいる」とした。
その上で、「VMwareのこれまでの歴史は、仮想化や抽象化という観点から、サーバー、ハードウェア、クラウド、Kubernetesといった段階を踏みながら、デジタルサイロの解消を図ってきた。やっていることはずっと同じである。新たなITサイロ、デジタルサイロが生まれるたびに抽象化のテクノロジーによって、サイロにブリッジをし、お客さまに主権を渡すことが役割であることに変化はない」などと述べた。
一方、「これはVMwareにロックされていることになるのではないかという質問をよく受ける。その答えは2つである。ひとつは、それ以上に多くの選択の自由を提供し、イノベーションにフォーカスできるようになることである。2つめは、ヴイエムウェアの社員の2割強がサポートエンジニアであり、安心感を提供できる点である。ハイパーバイザーのレイヤーで見ると、ハードウェアの上にあり、OSの下にあるのがVMwareであり、トラブルが発生すると必ず疑われる場所だ。知らないということはいえない立場であることを自覚している。そのためエンジニアをしっかりとそろえ、トラブルの切り分けの作業を行い、適切な対応を行うようにしている。VMwareは、これからもかけ橋の役割を担っていく」と語った。
さらに、「ヴイエムウェアは、テクノロジーによってその力を良い方向に持っていく『Tech for Good』を、常に意識しながら活動をしていきたいと考えている。また、日本法人の社員同士がお互いに共感できるコミュニティを作っていくことが重要であるとともに、グローバル企業の一員として、日本の社会にどうつながっていくのかがアイデンティティになる。日本の社会にコミュニティを広げていく活動にも力を注ぎたい」と語った。
同社では、福祉施設で作られたお菓子などを販売しているsweet heart projectに参加し、継続的に支援しているほか、2022年10月から、出産や育児などで離職した女性の再就職を支援するプログラムであるVMware Sakuraに取り組み、現在、社内エンジニアなど50人がボランティアで参加して、約80人の受講生がいることも紹介した。
米VMwareの歴史を振り返る
一方、ヴイエムウェア 執行役員 パートナー技術本部の名倉丈雄本部長は、今年25周年を迎える米VMwareの歴史について振り返った。名倉本部長は、日本法人設立時からのメンバーであり、日本だけでなく、APJ全体のなかでも最古参社員になっているという。新人研修ではラグーCEOと一緒だったといい、日本法人社内では、名倉本部長のことを、敬意を込めて「ナグー」と呼ぶ。
VMwareは、1998年に5人の共同創業者によって設立。当初はワークステーション向け製品でスタートし、研究開発機関や大学などを中心に事業を拡大した。その後、GSXサーバーやESXサーバーの発表によって、サーバーの仮想化の提案を広げていったという。だが、当時はSEやエンジニアが、ユーザーのサーバー環境に直接出向いて設置。インストールして動作検証を行ってから、製品を購入してもらうという仕組みだったという。
2003年に日本法人を設立し、まずはワークステーションを中心に日本でのビジネスを開始した。その後、サーバー仮想化の提案を進めていったという。「当時の課題は、お客さまの心理的バリアを取り除くことだった。製品の強みはもとより、ビジョンや方向性についてもしっかりと説明し、それを理解してもらい、本当に動くことを証明するという愚直な取り組みが、日本での顧客数の増加につながっていった」と振り返った。
2004年に発表したvCenter(当時はVirtual Center)も、発表当時は、「そんなことができるわけはない」という否定的な意見が先行。風当たりは強かったが、CPUの拡張に限界が生まれ、スケールアウトすることが求められるなかで、2000年代後半には、業界全体が仮想化をベースにした動きに転じ、サーバー、ストレージメーカー自らが仮想化を前提とした製品計画を打ち出すようになったことも、VMwareの事業拡大に追い風になったという。
「2009年から2010年までは、サーバーを仮想化する時代であったが、それ以降は、データセンターを仮想化する時代に入るととも、同時にデスクトップの仮想化も進展した。CEOのラグーが、SDDCという言葉を最初に使ったのは2011年。東日本大震災で被災したお客さまでは、仮想化環境が最も早く復旧したという事実があった。これによって、あらゆるIT環境で仮想化することの重要性が浸透していった」と述べた。
また、「2009年買収したSpringSourceにより、VMwareは、アプリケーションレイヤーを視野にした事業展開をスタートしている」と指摘。2012年に、パット・ゲルシンガー氏がCEOに就任すると、データセンターやインフラの仮想化戦略が加速。さらに、買収戦略を推進することで、必要なピースを獲得していった。このなかではPivotalやCarbon Blackの買収なども進めている。
2016年にはAWSとの提携を発表している。「当時は、データセンターの仮想化とクラウドは対極にあると言われたが、そうではないことをVMwareおよびAWS自らが証明した格好だった。仮想化はシステムを固有の基盤から独立させ、新たなレイヤーを追加し、共通の基盤をどこでも動かせるようにすることである。サイロに橋をかけるという表現や、テクノロジーやトレンドが交差する交差点にはビジネスチャンスがあるといった表現をよく用いていた時期であり、それがいまのVMwareの考え方につながっている」と語った。
また、サステナビリティに対する研究にも投資を行っていることに触れながら、「VMwareは、新たなソリューションを提供し、今後もイノベーションを継続していくことになる。社内においても、次になにをやるのか、新たなムーブメントに向けた取り組みはどうなるのかといった点での期待が高まっている。これからもVMwareの取り組みを楽しみにしてほしい」と語った。