トピック

クラウドベースの地域医療連携サービスを地域のインフラに。 安全・安心なPHRの活用とユーザビリティを実現

 千葉県の医療を支える中核病院である千葉大学医学部附属病院(以下、千葉大学病院)は、総合ITサービス企業であるTIS株式会社(以下、TIS)と共同開発したクラウド型地域医療連携サービス「ヘルスケアパスポート」の提供を2020年9月から開始しました。患者の個人情報を安全なかたちで活用するために、そのサービス基盤として選ばれたのが、医療情報システムのガイドライン※対応などを先進的に推し進めてきたMicrosoft Azureです。千葉大学病院ではヘルスケアパスポートの整備を通じて、患者と医療機関などによる厳格かつ柔軟、しかも利便性の高いPHR(パーソナルヘルスレコード)の共有を実現。今後は、ヘルスケアパスポートのエコシステムの形成を通じて連携サービスの拡充を図ることで、さらなる医療の質の向上を推進します。

※事業者向けガイドラインの整理・統合に伴い、2021年半ばを目途に3省2ガイドライン準拠リファレンスを公開予定です。

"技術"と"個人情報保護"が医療ネットワークの普及の障壁に

 千葉、寒川、登戸の有志の拠金で1874 年に共立病院として設立。以来、数度の改称や改組の後、 1949年の新制千葉大学の発足に併せて誕生したのが現在の千葉大学病院です。人口600万人の千葉県の医療を支える中核病院として、行政と二人三脚で各種の医療施策を推進し、高度医療のための継続的な機能強化にも取り組むことで、千葉大学病院は患者本位の安心かつ安全な医療提供に取り組むとともに、先端医療の開発や将来を担う医療人材の育成にあたっています。

 そんな千葉大学病院が医療の質の向上や個人の健康増進のために2020年9月から提供を開始したのが、地域医療連携に参加する医療機関や患者個人を対象とするクラウド型地域医療連携サービス「ヘルスケアパスポート」です。

 医療機関の相互連携を通じた機能分担――まずは身近な診療所で受診し、入院治療が必要と判断されれば設備の整った病院などに転院する――により、あらゆる地域の患者への適切かつ継続的な医療提供を目指す地域医療連携は、日本の医療制度の柱とも呼べる取り組みです。ただし、患者データをやりとりする地域医療連携ネットワークは、必要性こそ数十年前から叫ばれながら現段階での利用は限られた地域にとどまります。

 その理由の1つが技術的な問題です。医療で共有すべきデータには文字だけでなく、読影用画像などのサイズの大きいデータも含まれます。そこで、地域医療連携ネットワークには高い処理能力が必要となりますが、ハードウェアや回線の能力の限界から実現が困難だったり、コストが極めて高額になったりなどの要因から整備を見送らざるを得ない状況にありました。

 また、個人情報保護の問題もあります。診療や調剤、健康診断などの個人の医療データ(PHR:Personal Health Record)は要配慮個人情報にあたり、取得に同意を得るなどの厳格な取り扱いが求められます。対して、地域医療連携ネットワークの狙いは、PHRの共有/活用です。そこでの「厳格管理」と「情報共有」の両要件を同時に満たすことは極めて難しく、法令順守のために使い勝手が犠牲になっていたことが、利用拡大の妨げになっていました。

多様なアプリと医療データをつなぐ"基盤"に

 しかし、「近年になり状況は大きく変わっています」と語るのは千葉大学病院 地域医療連携部(令和3年4月より患者支援部に改組) 部長・特任准教授の竹内 公一氏です。

 「近年のIT機器の劇的な能力向上により、ネットワーク整備の技術的な問題は解消されつつあります。また、個人の診療データに関しても、各種制度やガイドラインの整備を通じて、どのような情報を、どの事業者と、何の用途で共有するかについて患者本人から同意を得られれば、その範囲内での活用が可能となったことで、地域医療連携ネットワークの利便性もそれだけ高められるようになっています」(竹内氏)

 こうした変化を受け、千葉大学病院は地域医療連携ネットワークの在り方を大きく見直したといいます。かつては各種データを網羅的に参照できる一方で、要配慮個人情報の共有/活用のために、個人から何度もの了解を必要とする巨大な仕組みが一般的でした。

 「しかし、技術革新により従来のような一枚岩ではなく、小さなサービスを組み合わせてのシステム構築も現実のものとなっています。そこで、地域医療連携ネットワークの位置づけを、個人の同意の下に多様な医療ニーズに対応したサービスと医療データとをつなぐための基盤に改めるべきだとの判断に至りました。そうしたアプローチの方がユーザー本位で使い勝手も高められやすく、医療関係者と個人の双方で、より多くの参加を見込めるからです」(竹内氏)

 ヘルスケアパスポートは千葉大学病院のこの考えに沿った、次の3機能から成るサービスです。

●病院や薬局、個人が管理するPHRの登録機能
●登録されたPHRの利用を個人の同意に則り管理する基盤としての機能
●医療機関でPHRを参照する機能

 医療機関や患者、その家族、お薬手帳などのヘルスケア用アプリとつながったうえで、患者自身によるリアルタイムでの同意や撤回(オプトイン)により、ヘルスケアパスポートはPHRの流れの柔軟かつ厳格な制御により高いセキュリティを実現しています。電子カルテとの連携は厚生労働省が定める標準的なデータ交換フォーマットのSS-MIX2で実施。精緻な医療で鍵を握る患者の生活の可視化に向け、血圧や体重などの測定機器からのデータの自動アップロードへの対応も視野に入れています。

3省3ガイドライン※に準拠したMicrosoft Azureに白羽の矢

 千葉大学病院はヘルスケアパスポートの前身として、健康管理&情報共有システム「SHACHI(Social Health Assist CHIba)」を運用していました。ヘルスケアパスポートを構築した背景には、SHACHIの運用による教訓があったといいます。

 「システムの拡張計画は事前に用意していましたが、SHACHIの利便性が知られることで日々、来院する100名以上の外来患者の大半が登録するまでになりました。結果、拡張が追い付かなくなるだけでなく、費用負担の問題にも直面することになりました」(竹内氏)

 この経験から、千葉大学病院では各種リソースの追加も簡単かつ短期に行え、コストも月額料金として低く抑えられるクラウドサービスを活用する方針を決定。そこでのパートナーに選定されたのがTISです。

 竹内氏は、「候補は複数ありました。その中にあって、高い堅牢性やセキュリティが求められる金融系システムの開発実績の豊富さ、さらに裏方としてシステムの利便性を高めるという組織文化が、地域医療連携ネットワークの開発に合致していることなどを総合的に判断し、TISに協力を仰ぐことにしたのです」と説明します。

 もっとも、開発は当初から大きな苦労が予想されました。千葉大学病院とTISが業務契約を結んだのは2020年3月のこと。運用開始は同年10月であることがあらかじめ決まっていたのです。

 こうした中、千葉大学病院とTISはまず、プロジェクトの進め方を協議し、 SHACHIの運用により得られた全ての教訓を活かし、機能の大半を新規開発により大規模改修するという基本方針を固めます。

 「開発期間の短さから、当初予定よりも開発スコープの縮小を余儀なくされた代わりに、運用を始めた上で、継続して機能を追加していくスモールスタート型での開発スタイルを採ることでTISと合意しました」(竹内氏)

 並行して、WebAPIによるアプリ群の連携や二要素認証によるセキュリティ確保などを柱とする開発方針を決定。その過程でTISが稼働基盤に選定したクラウドがMicrosoft Azureでした。

 TIS ヘルスケアサービス部主査の清水 倫光氏は、「Microsoft Azureはいわゆる医療機関向け3省3ガイドライン※にいち早く準拠し、医療情報システムに求められる高いセキュリティが確保されています。加えて、アクセス制御などの開発用サービスが豊富に用意されていたり、SLAが他のクラウドよりもきめ細かく定義されていたりすることで、開発工数をそれだけ抑えつつシステム品質を高められることを高く評価しました」と語ります。

 以後、開発は本格化。そこでの短期開発に向けたTISの策がアジャイル型開発です。具体的にはシステム全体を「アカウント登録」「登録データの閲覧」「画面や利用のための機能」と業務の観点から大きく3つに分割。各業務を機能単位でさらに区分けしたうえで、約50人の技術者を業務の繁忙に併せて流動的に配置し、出来上がった部分から千葉大学病院の確認を受ける体制を敷きました。

 開発とレビューを短い期間で繰り返すイテレーション型開発が、開発期間短縮につながったとTISヘルスケアサービス部シニアエキスパートの柴田靖氏は振り返ります。

 「アプリ開発は見本がない制作作業であるため、意図していたものと成果物に差が生じることが間々あります。今回のイテレーション型開発は、一気に作る効率性よりも、時間がない中で手戻りの時間をできる限り抑えたい千葉大学病院の要望に応えたものでした」(柴田氏)

 コロナ禍の只中にあって、開発プロセスを下支えしたのが、メンバー同士の予定や課題などの日次での共有や、随時行われた千葉大学病院とTISとの密なコミュニケーションです。

 竹内氏は、「開発期間中はTISとの打ち合わせが週に10回もあるような状況でした。その中では各アプリの仕様や計画だけでなく、その前段階のコンセプトなどについても日々、報告があることで、いくつものアプリ開発が同時並行で進みながらも全体の進捗を的確に把握できました。また、手戻りもそれだけ少なく、開発効率も高められたことで、システムの利便性を左右するインタフェースの改善作業にも十分な時間を割けました」と笑顔で語ります。

※事業者向けガイドラインの整理・統合に伴い、2021年半ばを目途に3省2ガイドライン準拠リファレンスを公開予定です。

医師と患者、家族をつなぐコミュニケーションツールに

 これらの取り組みに支えられ、ヘルスケアパスポートの開発は期日までに無事完了し、滑り出しも順調です。「個人情報保護のために仕方のないことなのですが、最初の登録作業だけは面倒という声には悩まされています」と竹内氏は語りますが、それもユーザーが順調に増えていることの証です。

 もっとも、新型コロナによりヘルスケアパスポートに対するニーズや使い方は当初予想より大きく変化しているそうです。そもそもPHRの柔軟な利活用を狙いとしたものですが、新型コロナの感染拡大により入院患者と家族の面会が困難な状況で、患者の状態を家族が見守るためのツールとしても利用が検討されているといいます。

 「一方で、医師は患者に対して、口頭だけでなく文字で生活習慣などの指示を、連携先の医師には診療過程での自身の経験を伝えたいという強い思いがあります。また、新型コロナに関連して、我々も関連データをシステムで管理していますが、現状、それらは電子カルテとは接続されておらず、ヘルスケアパスポートを介して電子カルテ上でそれらを確認したいとの要望も各診療科で高まっています」(竹内氏)

 そうしたニーズを踏まえた継続的な開発作業を通じて、千葉大学病院では診療の現場でヘルスケアパスポートを自発的に使う動きも本格化しているそうです。

 千葉大学病院とTISは今後、ヘルスケアパスポートの他病院への横展開を通じてヘルスケアに関する多様な事業者を巻き込んだエコシステム作りとサービスの拡充を推進し、患者と医療従事者双方の新たな価値創出に取り組む計画です。病院では入院や退院、手術などの都度、同意書へのサインが求められますが、それは患者だけでなく医療従事者にとっても煩雑な作業です。ヘルスケアパスポートの一機能としてそのプロセスを簡略化するサービスもすでに視野に入っているそうです。

 今回のプロジェクトを振り返ったうえで、竹内氏は次のように展望を語ります。「ヘルスケアパスポートは運用を開始してから約半年ですが、すでに当時の姿が思い出せないほど大きく変わりました。ヘルスケアパスポートで我々が目指すのは、我々が意識することなく新たなアプリが生まれ、自動的につながることでの、患者や医療従事者が置かれた環境のさらなる質の向上です。用いる技術に我々は特にこだわりはなく、数あるクラウドの中でMicrosoft Azureを稼働基盤に選定したのは、安全性や機能、能力などでMicrosoft Azureが医療向けに最も優れていたからにつきます。他方、マイクロソフト製品は我々も含めて使い慣れたものであり、そこでの共通理解を基にヘルスケアパスポートの操作性を高められたことも事実です。ヘルスケアパスポートの成長はこれからが本番です。TISには引き続き事業開発と機能開発面で、また、マイクロソフトには安心安全なクラウドとユーザビリティの面で協力を仰ぎたいと考えています」(竹内氏)