オープンコンテンツと老舗コンテンツの信頼性-Britannica vs Natureの大論争



 無償公開されているオンラインの百科事典「Wikipedia」と創業約240年の老舗百科事典「Encyclopedia Britannica」の間で、記述の正確さをめぐる議論が巻き起こっている。闘っている当事者は、Encyclopedia Britannicaを発刊する米Encyclopedia Britannicaと、英科学誌「Nature」だ。いずれも知の世界の権威で、プライドもからんで、両者にらみあい状態だ。


 発端は、2005年12月発行のNature第438号に掲載された記事だ。Natureは、誰でも自由に編集に参加できるWikipediaの可能性について取り上げた。記事は、間違いが発見された例などの問題を指摘しながらも、おおむね肯定的な見解を示した。

 1768年創業のBritannicaのプライドを傷つけたのは、Natureが記事中に引用した独自調査の結果だ。同誌はここで、科学分野の42の項目について、Wikipediaとオンライン版Encyclopedia Britannicaの両方からそれぞれ抽出し、各分野の専門家に依頼して、どのような間違い個所があるかを指摘してもらった。専門家には出典は知らされていなかった。

 その結果、事実関係の誤記などの不正確な情報が、Wikipediaには162件、Encyclopedia Britannicaにも123件みつかったという。1項目あたりの平均不正確情報は、Wikipediaが4件(3.86件)、Encyclopedia Britannicaが3件(2.92件)で、Natureは「Wikipediaが作成される方法を考慮すると、驚きに値する」とまとめている。

 Britannicaはこれに対し、反論の公式文書を2006年3月24日に発表した。20ページに及ぶ文書は、Natureの記事について6週間の調査を行ってまとめたもので、以下のような記事の問題点を挙げている。


  • Encyclopedia Britannicaにみつかったとされる不正確事項は間違いであり、その多くは出版されているEncyclopedia Britannicaに収容すらされていない

  • Natureの記事のタイトル、文章表記は、読者の誤解を招きかねない

  • Natureは調査手法、データを一部しか公開していない

  • Natureが外部の専門家にレビューを依頼したデータは、Encyclopedia Britannicaの記事から部分的に削除するなど編集したもので、完全ではない上、専門家のレビューの正確さに関する確認も怠っている


 Britannicaは文書の中で、「“エラーゼロ”であると主張しているわけではない」としながらも、Natureの調査には「根本から欠陥がある」として、記事の撤回を求めた。

 翌3月24日、今度はNature側が回答文書を発表した。そこでNatureは、タイトルや記事は適切であり、外部の専門家に送ったEncyclopedia Britannicaのデータも正確だったとした。また、専門家のレビューに関しては、レビューの正確さについて確認がなかったことを認めたが、条件はWikipediaも同じであり、結論を左右するものではない、とした。そして、「記事を撤回するつもりはない」と要求をつっぱねた。

 さらには、調査方法の公開については要請があれば応じる用意をしていたのに、Encyclopedia Britannicaは要求しなかったと指摘するなど、両者のケンカ状態になっている。

 現時点(4月10日)では、Encyclopedia Britannicaはこれに対して公式な回答をしていない。


 Wikipediaは2001年にJimmy Wales氏らが開始した無料のオンライン百科事典プロジェクトだ。Webとインターネットの力を利用して、ボランディアベースで誰もが作成・編集、そして閲覧できる無償の百科事典を作ろうという野心的な取り組みとしてスタートした。

 不特定多数が作成過程に加わることで、間違いを指摘しあったり、それぞれが持っている情報を追加することで、百科事典としての品質や精度を高められるというものだ。現在、100種類以上の言語版があり、英語版には100万件以上、日本語版にも19万件以上の記事がある。

 Wikipediaによると、Wales氏は「Britannica並み、あるいはそれ以上」の品質を目指す、という目標を掲げているというから、Natureの記事はWikipediaやサポートするボランティア執筆者にとって励みになっただろう。ただ、Wikipediaに関しては、情報が不正確なだけでなく、個人を中傷するような文章が見つかるなどの欠点が、昨年より指摘されているのも事実だ。

 BritannicaとNatureの一件は、Natureの当初の記事の論点(Wikipediaの可能性、正確性)からは外れた論議となったが、ソフトウェアの世界で起こっているプロプライエタリなソフト対オープンソースソフトを思い起こさせるものとなった。あるいは、既存のメディア対ブログによる市民ジャーナリズムと例える方が近いかもしれない。ブランドがあって有償だがサポートもある老舗を選ぶか、正確である保証はない無償版を選ぶか、われわれには選択の自由、そして責任がある。そういう時代になったということだろう。

関連情報
(岡田陽子=Infostand)
2006/4/10 08:59