クラウド&データセンター完全ガイド:イベントレポート

JALのCIOが語る“遅れたIT”挽回の軌跡とデジタル対応ITインフラへの道

クラウド&データセンターコンファレンス2017-18 オープニング基調講演レポート

弊社刊「クラウド&データセンター完全ガイド 2018年春号」から記事を抜粋してお届けします。「クラウド&データセンター完全ガイド」は、国内唯一のクラウド/データセンター専門誌です。クラウドサービスやデータセンターの選定・利用に携わる読者に向けて、有用な情報をタイムリーに発信しています。
発売:2018年3月30日
定価:本体2000円+税

 日本航空(JAL)でデジタル変革の基盤となるITインフラの刷新が進んでいる。2010年の会社更生法適用申請時に「経営破綻の原因は遅れたIT」と指摘されて以来、IT投資の回復とレガシーシステムの移行を着実に進め、2017年11月には、47年間メインフレームで稼働し続けた旅客予約・発券・搭乗システム「JALCOM」のSaaS移行を果たしている。2017年12月5日、東京都内で開催された「クラウド&データセンターコンファレンス2017-18」(主催:インプレス)のオープニング基調講演に、JALのCIO兼CISOとしてITを統括する執行役員 IT企画本部長の岡敏樹氏(写真1)が登壇。JALのITインフラ運用・構築の歴史を振り返った後、現状の課題整理とこの先の戦略を詳らかにした。 text:阿部欽一(キットフック代表) photo:河原 潤

写真1:日本航空 執行役員 IT企画本部長 岡敏樹氏

航空会社の価値を生み出すITとは

 ビジネスのデジタル化が加速し、企業の事業(ユーザー)部門では、自分たちのビジネスアイデアや施策実行にITシステムがますます切り離せないものになっている。岡氏は、航空会社の価値となるITの特徴として3つを挙げた。

 1つ目は、「ビジネスが世界的に規格化されている点だ。IATA(国際航空運送協会)やICAO(国際民間航空機関)の国際ルールに則ることで、複数の航空会社をまたいだ場合でも、予約から支払までが一貫し、顧客が戸惑わないようになっている。また、航空機が国境を超えて国境を越えて度量衡がいきなりメートルからヤードに変わって航空管制が混乱するようなこともない。

 2つ目は、本業とITが本質的に一体となっている点だ。航空会社の使命は飛行機を安全に、定時に、快適に飛ばすことであり、その価値を実現するのは機体、パイロットや客室クルー、管制塔、整備員などだけで実現するものではない、として岡氏は「地上側でITによる支援がなければ、航空会社の価値は生まれません。エアラインと国際通信ネットワークは一体だと考えてよい理由はそこにあります」と説明した。

 3つ目は、高い公共性だ。岡氏によると、2016年に世界で約38億人が航空機に乗っており、これは20年前と比べて約3倍の数字だという。航空会社は特にだが、ITシステムの障害は企業経営だけでなく社内外に大きな影響を及ぼすことは言うまでもない。実際、航空会社のシステム障害が社会に大きな影響を与えた事案は枚挙にいとまがない。

経営破綻からの再生で“遅れたIT”の巻き返しへ

 世の多くの企業が取り組みを始めるはるか前より、航空業界は日本の他産業に先駆けて、コンピュータやネットワークの構築・整備を行ってきた。なかでも、国営航空会社として出発したJALのIT活用の歴史は長い。1955年に太平洋横断専用回線を開設し、1961年にはすでに「世界一周通信網」、すなわち自社専用のグローバルネットワークを完成させている。この時期、当時の最新ITであるメインフレームをフルに活用して、国際線電子座席予約システム(1967年)、国際線電子搭乗手続システム(1970年)の稼働を始めている。

 2000年代に入ると企業でインターネットの活用が加速する。コンピュータはメインフレームから、UNIX/Windowsなどのオープンシステム、クライアント/サーバーモデルへの移行が進んだ。JALのデータセンターにおいても長年の稼働でメインフレームシステムの老朽化が進んだが、メインフレームで業務電子化が完成されていたがゆえに、新しいテクノロジーの導入に遅れをとったという。岡氏は当時の状況を次のように振り返った。

 「2006年のJALとJAS(日本エアシステム)の経営統合に伴うシステム統合は、実に5年を要することになりました。また、2011年9月11日の米国同時多発テロを契機に、航空会社の経営環境が急激な悪化していきます。その中で、当社はインフラやシステムへの投資が抑制され、その影響で市場競争力が低下し、さらなる収益低下を招くという悪循環に陥ってしまいました」

 周知のとおり、2010年1月にJALは経営破綻を迎える。大きな衝撃が走る中、再建にあたっては「ITシステムの刷新」が不可欠との判断がなされた。「『破綻の原因は遅れたITにある』との指摘を受けました。そして、会社更生計画における事業骨子の1つに『老朽化、複雑化したITシステムの刷新』が盛り込まれました」(岡氏)。

 ITにあらためて注力することが大命題となり、依然として厳しい経営環境の中、IT企画本部はITインフラやシステムの刷新を一歩一歩推し進めていった。

「攻めのIT投資」で目指す、機動性を備えたITインフラ

 2014年、JALは新しいサービスや商品の創造を推進する「チャレンジJAL」を掲げる。このグループ全社スローガンの下、IT 企画本部が進めてきた「攻めのIT投資」がいっそう加速することになる。

 同年7月には大規模ITプロジェクトの計画が公にされた。40年以上稼働する旅客予約・発券・搭乗システム「JALCOM」の刷新プロジェクトである。しかも、オンプレミスでのカスタム開発ではなく、スペインのアマデウス(Amadeus IT Group)が提供する業界特化型SaaS「Altea」を採用し、国内線と国際線のシステムプラットフォームを統合するという大規模かつ難度の高い取り組みだ。

 Alteaへの移行で顧客の搭乗情報の一元化が図られ、国内線/国際線の乗り継ぎがよりスムーズになる。また、各国で運賃体系が変更される際、これまでJALが個別に対応しなくてはならなかった作業がシステムに基本機能として備わる。

 運用面では、システムコストが固定費から搭乗旅客数に連動した変動費に転換され、維持管理費用を削減する狙いがあったという。岡氏は2017年11月にこの大規模プロジェクトがついに完了し、Alteaベースの新システムの本稼働が始まったことを紹介した。

 航空事業の根幹を支える旅客予約・発券・搭乗システムのクラウド化を遂げたJAL。同社が今、臨むのは、デジタルテクノロジーへの積極的な取り組みだ。例えば、「IBM Watson」のAI技術を取り入れたチャットボットによる顧客支援サービス「バーチャルアシスタント」や航空機整備士専用のモバイルアプリケーションの開発、「Microsoft HoloLens」のMixed Reality(複合現実)技術によるコクピットシミュレーションシステムの実証実験などがある。

基幹系システムに引きずられる情報系システムの問題

 一方で岡氏は、現状のITインフラやシステムが抱える課題についても言及した。現在、JALのITインフラは、システムセンターと呼ばれる自社保有のデータセンター施設に、メインフレーム、サーバー(物理/仮想)、ストレージなど複数世代のITインフラハードウェアがひしめき、それぞれが国内ネットワーク、海外ネットワーク、SaaSなどに接続されている。

 このITインフラ上で、3系統(販売管理系、生産計画系、間接業務系)の業務システム/アプリケーション群が稼働している。販売管理系は、旅客および貨物の予約・発券、集札、収入計上を管理する。生産計画系は、機材、燃料など航空輸送のための生産資源管理だ。間接業務系では、資金、経理、人事などのバックエンドの管理を担う。

 岡氏はここで、大きく2つの課題を挙げた。1つは、これらのシステムに旧来のメインフレームや物理サーバー、開発言語といったレガシーシステムがいくつか残っていることだ。それらの刷新がままならないのは「見合う成果が得られない」(岡氏)からである。

 システムの数と種類が増え続けたことは、JALのような巨大企業であればしかたない面があるが、岡氏によれば、ユーザー部門の要望に極力こたえるべく、機能要件の単位でシステムを開発し管理されてきたことも要因になっているという。

 「航空運送サービスは、大量のファンクションが相互に連関しあって成り立っています。それらを実現するシステムも不可分に結合しているため、ある部分を新しいテクノロジーに移行しても、別の部分に残るレガシーシステムがボトルネックとなって、全体最適・効率化が果たせない。ただし、それでもレガシーはかなり減らしてきていて、ボトルネックの解消に向かっています」(岡氏)

 もう1つの課題は、「基幹系システムの堅牢性に、情報系システムが引きずられていること」(岡氏)だ(図1)。航空運送事業を担う基幹系システムは、あらゆる業界の中でもトップレベルの堅牢性や可用性が要求されるが、「早期に基幹系システムを確立した結果、セキュリティや安定運用においては多大なメリットを享受できました。しかしながら、その重厚長大さに情報系システムも引きずられるかたちとなり、そちらで必要な機動性や軽快さが不足してしまいます」と岡氏は説明した。

図1:基幹系システムに引きずられる情報系システム(出典:日本航空)

AIや5Gが広範に普及した時代にITインフラはどうあるべきか

 デジタル変革期を迎え、市場・顧客のニーズの変化は今後さらに急速になっていく。JALは今、上述したようなデジタル施策をさまざまなシーンでタイムリーに展開可能にすべく、現状を脱して機動性や軽快さを備えたITインフラへの刷新を構想している。

 新しいコンセプトとして打ち出されたのが「機能要件・非機能要件の両方向からのI Tインフラ刷新」だ(図2)。「堅牢性が求められるシステムのためにオンプレミスを維持しながら、SaaSやPaaS、IaaSといった機動性のあるクラウドに軸足を移していき、ベストミックスの構成を目指します」と岡氏。このコンセプトに基づき、ハイブリッドITインフラ整備を2020年までに概ね完了させることをゴールに、「全体のボトルネックを生むレガシーをクリーンにしたうえで、次の世代にバトンを渡したい」(同氏)とした。

図2:機能・非機能両方向からのITインフラ刷新(出典:日本航空)

 2020年代は5G通信やAIが広範に浸透し、いつでも、どこでも、どんな用途でもAIが活用可能な新しい時代がやってくる——。岡氏はその時に備えて、ITアーキテクチャの観点でシステムを切り分けることも必要、と言い添えた。

 「今までは一元化によるシンプルなアーキテクチャを基本方針としてきましたが、この先の状況を見据えて変えていく必要が出てきています。例えば、航空運送系と企画業務系の切り分け、定型データ系と非定型データ系の切り分けといった、アーキテクチャカットでの明確な切り分けを検討すべき時期に来ていると考えます」と岡氏。ただし、その切り分けがシステムの複雑さを招き、運用負荷を高めるようなデメリットが考えられるため、3つ以上の系統に分けることはしない方針だ。

 岡氏は、以下の言葉で講演を締めくくった。「これからもお客様に安全、定時、快適な空の旅を提供するために、基幹系システムの堅牢・安定性を追求しつつ、多様化するお客様ニーズにただちに応えられるITインフラを提供していきたいと考えています」