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日本マイクロソフト新社長の平野拓也氏が記者会見、「臆することなく変革を進める」
(2015/3/2 18:20)
日本マイクロソフト株式会社は2日、新社長に平野拓也執行役専務が就任する社長人事を発表した。平野氏は、同日付けで代表執行役副社長に就任。同社新年度が始まる7月1日付けで代表執行役社長に就任する。また樋口泰行社長は代表執行役会長に就任。6月30日までは、新年度に向けた経営および事業計画の立案などを、平野新社長ともに遂行し、バトンを渡すことになる。
同社で会長職が復活するのは2000年に会長を退任した古川享氏以来、15年ぶり。
樋口新会長、平野新社長ともに、レポート先は、米Microsoft インターナショナルのジャンフィリップ・クルトワ プレジデントになる。
先手を打っていく会社になることを目指す
3月2日午後3時から、東京・品川の日本マイクロソフト本社で行われた会見で、平野新社長は、「使いたくなる製品を提供し、お客さまから愛される会社であり、先手を打っていく会社になることを目指し、臆することなく変革を進めていく」と抱負を述べたほか、「クラウド、デバイスという領域においても、Microsoftがチャレンジャーである部分は多々ある。米本社では、CEOのサティア・ナデラが数多くの変革を行い、新たな方向性を出し、その結果が少しずつ出ている。社会はモビリティとクラウドの世界へ急ピッチで変化している。デバイスや場所にとらわれない働き方やライフスタイルが求められている。今後は、クラウドを中心としたワクワクする提案を、さまざまな分野で積極的に進めたい。また、やりがいがあり、チャレンジ精神に富んだ職場を作りたい」と語った。
さらに、「樋口が日本マイクロソフトの社長に着任してから、法人事業およびコンシューマ事業の強化、社員が働きがいのある企業への変革、本社オフィス移転、社名変更、クラウドの推進など、数多くの変更を行いながら、大きく成長することができた。日本に根付き、日本で信頼される会社を目指し、それを反映させるべく、パートナーとの関係を密にしてきた。当時は、顧客に満足してもらうために、適切でタイムリーなコミュニケーションを行うことに力を注いだ。日本の思いを響く形で米本社に届けるということを重視していたことを感じた。そのあとに社長を務めるのは重責であり、身が引き締まる思いがある」と述べた。
社長就任の打診を受けたのは、約3週間前。米本社では、サティア・ナデラCEOに対して中間期の業績報告を行うワールドワイドミッドイヤーレビューが行われたタイミングに、樋口社長が平野氏の同行を求め、米国で社長を打診したという。
樋口社長は、「本来、平野は、この会議には参加しなくてもいいのだが、社長交代を伝えるために米本社に来てもらった。ただ、事前に来てもらう理由を言えないので、ちょっと勉強のために来ないかと誘った。現地で、クルトワ(=米Microsoft インターナショナルのプレジデント)と合流し、下期の施策について話をするという理由で、平野をディナーに誘った。その話を散々したあとに、最後にクルトワから通達をした」と、その経緯を紹介。
平野新社長は、「普段は参加しない場所に行ったこと、クルトワと樋口との時間なのでビジネスのことしか考えてなかったが、最後に不意をつかれた形で、次の責任を頼むと打診された。一瞬、なにを言っているのかわからなかった。だが、すぐに事の大きさを感じて、身の引き締まる思いを感じた。深呼吸をして、その場で即答して、社長を引き受けた」と語った。
なお、新社長としての新たな戦略については、7月からの新年度にあわせて発表する姿勢を示し、「これからの4カ月間は、単に予算を決めたり、準備をするのではなく、さまざまなことをパイロットしていきたいとも考えている。より具体的なビジョンや経営方針は、7月に向けて策定する。社長就任時にまた話す機会を設けたい。樋口が掲げてきた、日本に根付き、信頼される会社ということは、しっかりと踏襲したいと考えている」と語った。
東欧でも大きな成果、米本社でも手腕を評価
平野新社長は、1970年北海道出身。95年に米ブリガムヤング大卒、同年にKanematsu USAに入社。98年には、Arbor Software(Hyperion SoftwareとのM&A後、Hyperion Solutionsに社名変更)に入社後、ハイペリオン株式会社に入社。2001年には、ハイペリオンの社長に就任した。
その後、2005年8月にマイクロソフト株式会社(現・日本マイクロソフト)に入社し、ビジネス&マーケティング部門シニアディレクターに就任。2006年2月には、執行役エンタープライズサービス担当、2007年7月に執行役常務エンタープライズサービス担当、2007年10月に執行役常務エンタープライズビジネス担当兼エンタープライズサービス担当、2008年3月に執行役常務エンタープライズビジネス担当を経て、2011年7月には、Microsoft Central and Eastern Europe(CEE) Multi-Countryのゼネラルマネージャーとして、日本法人を離れ、東欧市場を統括し、東欧の新興国25カ国を担当した。
その際には、社内表彰制度であるTOP SUB AWARDを、2年連続で受賞するなど、その手腕は米本社でも評価されるほど大きな成果を残して、2014年7月に日本マイクロソフトに復帰した。執行役専務マーケティング&オペレーションズ担当を務めており、昨今では、Windows Sever 2003のサポート終了に向けた取り組みでも陣頭指揮を執っている。
「よく外見と名前があわないといわれるが、私は、父が日本人、母が米国人。北海道で生まれた道産子である。子供のころから、父と一緒に座禅を組んだり、学ランを着て登校したり、受験勉強をしたりといった経験もある。日本人なのか、外国人なのかと聞かれるが、ベースは日本人だと言い切っている。外資系企業に勤務しても、日本での単一民族の環境で仕事をしていることが多かったが、Microsoftでは、CEEにおいて、ダイバーシティの環境のなかで仕事をすることができ、知見を深めることができたと考えている。趣味は仕事。4人の子供がおり、家に帰ると、子供と遊んでしまう。もっと趣味を作らなくてはならない」とした。
家族での会話は英語が中心になっているという。
日本法人もリーダーをリフレッシュするタイミング
一方、樋口社長は、「直近までは会長職がなかったが、それを復活して会長職に就くことになる。3月末で社長に就任してから7年を迎え、マイクロソフトに入社してからは8年になる。昨年、MicrosoftのCEOにサティア・ナデラが就任し、変革をさらに急ピッチで進めているなかで、日本マイクロソフトもリーダーをリフレッシュし、世代交代を進め、さらに変革を進めていくタイミングであると感じた」と自身の考えを説明。
「日本では、たすきをつなぐがごとく、スムーズに交代をして、顧客、パートナーにご迷惑をおかけしないシームレスな交代をすることが、会社の大きな使命と考えた。そのために、かなり綿密に引き継ぎ計画を立ててきた。外資系企業のなかには、突然CEOがいなくなったり、空席のまま経営を続けるという例が散見されるが、それを反面教師にしてきた」とした上で、「日本に根付いて、日本に信頼される会社になることを目指し、社名を日本マイクロソフトに変えてから、来期(会計年度)がちょうど5年目になる。日本マイクロソフトが創業してから30年目を迎える。そうした記念すべき年に新たなリーダーにバトンタッチできるという意味ではいい形だといえる」と述べ、適切なタイミングであることを強調した。
また新社長については、「平野は、日本マイクロソフトの新たなリーダーに最もふさわしい人材。人格的にも、能力的にも、熱意という意味でも、グローバルの経験という意味でも申し分のないリーダーである。英語も堪能であり、私は日本語だったらもっと言えるのになぁということもあったが、平野は英語も、日本語も完璧である。そこは私以上にスムーズに行くはず。新体制への支援をお願いしたい」と述べた。
なお、7月1日の人事をこのタイミングで発表したことについては、「現在、来年度の予算や、新たな組織体制を策定、検討している段階にあり、7月からジャンプスタートできるように、4カ月前のいまから平野と一緒になって策定をしていくのが狙い。別の人が作った計画や組織で、新たな社長がそれを実行するのではなく、ジョイントで考えていくことが最適だと考えた。飛んでいる飛行機から、飛んでいる飛行機へと飛び移るような形でスピード感を持ってバトンを渡すことになる」とコメント。
さらに、「私自身、一人で外の仕事と中の仕事をやるのは大変だと感じていた。日本は外部とのリレーションが大切。会長の仕事は、平野を全面的にサポートしながら、外部ネットワークを生かした活動、さらにはトップ営業や、財界および政府への影響力向上、オリンピックへの貢献など、平野が拾いきれないものを拾っていくことになる」とした。
樋口社長との数年間の話し合いを経て決めてきたこと
会見には、Microsoft インターナショナルのクルトワ プレジデントが同席。「これは昨晩決めたことではなく、樋口との数年間の話し合いを経て決めてきたことであった」とした上で、「平野は、10年間にわたり、マイクロソフトに勤務し、エンタープライズサービス、エンタープライズパートナー、マーケティング分野を担当するなど、日本の主要なビジネスのすべての領域で経験を持ち、海外の経験も蓄積してきた。新興国市場でも高い実績をあげている。平野を社長に選んだことには自信を持っている。日本におけるこれらの成長が期待できると同時に、日本における継続的なサポートをはじめ、強いコミットメントを示すものになる。これにより、日本における強い変革に取り組むことができる」とコメントした。
また、「樋口は、過去7年間にわたり、日本におけるビジネスの変革を進め、ワークスタイルのイノベーションにも取り組んだ、日本のデータセンターの開設、AzureやDynamics CRM Onlineの推進、Surface事業のスタートや日本におけるWindowsタブレットのシェアを20%以上に引き上げることにも成功した。いまでは、2300人の社員を擁し、働きがいのある会社としても認められ、ブランドランキングも第1位になった。過去4年間のうち、3年間は、日本マイクロソフトが、先進国6カ国におけるナンバーワンになった。こうした7年間の努力に感謝したい。今後も、パートナーや顧客の経営トップとのパートナーシップ、グローバルな組織との連携を行ってもらうことになる」の評価を示した。