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Watsonが見せてくれる未来は――、IBM World of Watson 2016基調講演レポート
Rometty会長と5人のゲストが示したWatson活用の道筋
2016年10月28日 12:36
米IBMは24日~27日(現地時間)、米国ネバダ州ラスベガスにおいて、「IBM World of Watson(WoW) 2016」を開催した。
昨年まで開催していた「Insight」と、昨年5月に米国ニューヨークで初めて開催した「World of Watson」を統合。2回目の「WoW」と位置付けて開催した。
全世界120カ国から1万7000人が参加。Mandalay Bay Hotelと、今年4月にオープンしたばかりのT-Mobile Arenaを使用して、基調講演やセミナー、展示会などが行われた。
開催3日目となる10月26日に行われた基調講演では、米IBMのJinny Rometty会長兼社長兼CEOが登壇。「A World with Watson」をテーマに講演した。
これまで、Watsonについては、「コグニティブ」という表現しかしてこなかったが、今回の講演では、「The AI Platform」として、「Watsonは、AI(人工知能)プラットフォームである」と定義。「単なるAIではない」としながらも、より一般的に使われている「AI」という言葉を初めてWatsonに使って講演を行っていたのが印象的だった。
また、Watsonの事例を数多く紹介していたのも特徴で、ゲストを登壇させながら、Rometty会長がホスト役として進行。当初予定の1時間30分を20分ほど上回る、2時間近い講演となった。
世の中の大きな潮流になりつつあるWatson
冒頭、Rometty会長は、「コグニティブの市場規模は320億ドルに達するが、これは過去4年間で16倍に拡大したものである。2025年には1兆ドルを超える市場規模になると予測されている」と、AIを取り巻く市場成長率の高さを指摘。
「Watsonは、ビジネス用AIプラットフォームとしてナンバーワンであり、仕事や学習、生活の仕方に影響を与えている。医療分野では診断システムを通じて、すでに2億人の患者がWatsonを利用しており、2017年の終わりには、10億人が何らかの形でWatsonを活用することになるだろう。また、50万人の子供たちの教育を支援しており、2017年までにはこの5倍の生徒たちを支援することになる」の、Watsonの広がりをアピール。
また、「コグニティブという新たなタイプのエンタープライズシステムを構築している点もWatsonの特徴である。ここでは拡張知能を大事に考えている。人と機械が一緒にやっていくことが大切である。だからこそ、人の意思決定にも重要な役割を果たすことになる。そして、業界を変革することができることがWatsonの特徴である。Watsonは、我々だけものではない。自分たちでやったのはほんの少しのことである。エコシステムがあったからこそ、ここまできた。Watsonは世の中の大きな潮流の一端を担いはじめている。この2年の間に、世界中の開発者は、作業の50%にコグニションを入れている。そして、100万人以上の開発者がWatsonを活用し、金融や医療などの専門領域でも利用されている」などとし、Watsonが世の中の大きな潮流になりつつあることを強調してみせた。
さらに「Watsonは、理解をし、推論をし、学習し、専門領域の知識を持つという点が、単なるAIとは異なる」とし、「コグニティブをビジネスとして活用できる点もWatsonの特徴である」と述べた。
具体的な事例として、みずほ銀行がPepperを利用して、顧客の顔を認識し、適切な接客を行う際にWatsonが頭脳として利用されていることや、ホンダがバッテリの寿命をみて、予知保全の取り組みを行っていることを紹介。セサミストリートのキャラクターとの連動により、Watsonが適切なビデオを選択して、子供の学習に活用していることなどを示した。
さらに、Watsonには、「人間とのエンゲージメントを深める」「専門知識(エキスパート)のスケーリング」「イマジネーションのスケーリング」「オペレーションの変革」「研究の深化」という5つの特徴があることを示しながら、「これまではWatsonをどう使うのか、という議論が多かったが、いまでは、Watsonをなにに使うのかという、より具体的な考え方に変わってきた」とも語った。
また、Watsonを利用している700件のユーザーから得た回答では、データの質を高めることで、出力の品質が高まることや、トレーニングをし、時間をかけるほど価値があがること、コグニティブはクラウドによって提供されることで価値が高まること、そして、社会に存在するAIに対する不安を払拭する必要があるといった点が指摘されていることにも触れた。
自動車業界で初めてコグニティブコンピューティングを採用したOnStar Go
今回の基調講演では、実際にWatsonを利用している5人のゲストが登壇した。
最初のゲストが、米General Motors(GM)のMary Barra CEOであった。同じ女性経営者という立場であるだけでなく、業界が違っても、ともにエンジニア出身という共通項を持つ2人は、壇上で強くハグをしたあと、新たなニュースとして、Watsonを採用したドライバー向けサービス「OnStar Go」について説明した。
OnStar Goは、自動車業界で初めてコグニティブコンピューティングを採用したサービスで、これまで約20年の歴史を持ち、1200万台で利用されているOnStarをさらに進化させ、よりパーソナルなサービスとして提供するという。
通勤時に、給油の必要性を通知するとともに、渋滞を避けながら、最寄りのガソリンスタンドの場所を教えてくれるほか、ダッシュボードからの操作で、ガソリン代の支払いも可能になる。子供の薬が薬局に届いている場合には、OnStar Goがそれを知らせて最適なルートを教えたり、コーヒーをクルマのなかから注文して、その店にクルマが到着したら受け取るといったことが可能だ。
米IBMのRometty会長は、「OnStar Goは、コグニティブモビリティプラットフォームと呼べるものになる。米国人が人生のうち、クルマのなかで過ごす時間は3万7000時間にも達する。その時間をいかに快適に過ごすかは重要な要素である」と指摘。
これを受けて、GMのBarra CEOは、「OnStar Goは、ドライバーの生活全体を支援し、安全性も高めることができる。OnStarという強力な基盤の上に、インターネット接続したWatsonと組み合わせることで、テーラーメイド型のサービスが提供でき、個人の生活に必要とされるものを手伝うことができる」とした。
OnStar Goは、2017年後半から提供を開始。シボレーやキャデラック、GMCなどの27車種に搭載し、200万台以上のクルマで利用できるようにするという。
Rometty会長は、「自動運転やコネクティビティ化や電気化、共有といった取り組みは、GMが、ハイテク企業になることを示している」とする一方、Barra CEOは、「今後は、個人を中心にしたモビリティの変化が起こる。その一方で、交通渋滞や安全の問題、環境問題などの課題を解決するソリューションリーダーとなり、人の移動をより快適に支えたい」と発言した。
さらに、Rometty会長は、「私たちは、未来の理系人材の育成についても考えを共有している」と切り出し、Barra CEOは、「テクノロジーのインパクトを受けていない業界はない。理系が不要な職業はない。言い換えれば、技術スキルを持った人材が不足している。GMでは、より多くの中学生、高校生に、理系の職業に興味を持ってもらうための活動を行っている。現実の世界を体験してもらって、テクニカルスキルを持つことが大切であることを理解してもらいたい」と述べた。
授業をより良くするために教員を支援できる
2人目のゲストは、米国合衆国教育長官のJohn King Jr.氏。オバマ米国大統領から、「米教育分野においても最も啓発を行う人物」と称されているという。
King長官は、米国では過去最高の高校卒業率を達成したこと、ラテン系米国人の大学生が100万人以上増加したこと、保育園に行くことができる人が増加したこと、2000万人の生徒がハイスクールブロードバンドを利用できるようになったことなどを挙げたほか、2021年までに10万人の教員が増加するといった米国における教育改革の実態に触れながら、「子供たちは、21世紀に求められる仕事に従事できるスキルを得る必要がある。コンピュータサイエンスの教育も強化する必要がある。そうした課題も認識している」と切り出した。
具体的な事例として取り上げたのが、Pathways in Technology Early College High School(P-TECH)プログラムである。IBMがメンターとなって支援し、実現しているもので、あらゆる環境の子供たちに対して、将来、生活する上でどんなスキルが必要なのか、なにをすべきかということを学ぶことができるという。
Rometty会長は、P-TECHプログラムに参加した学生がIBMに入社した実績があることを紹介。「第1期の卒業生に、偶然、エレベータで会ったことがある」というエピソードに触れた。
教育分野におけるWatson活用への期待について、King長官は、「私も現場の教員をやっていたが、どのマテリアルを使えば最適なのかということに現場の教員は悩んでいる。ニーズにマッチしたマテリアルを探しだすという点に、Watsonが活用できる。教員を代替したり、減らしたりするのではなく、授業をより良くするために教員を支援するものである。Watsonは日々学習している。教員が使用できるナレッジベースが広がり、子供ごとに最適な教材を選択し、授業の効果を高めるものになる。教員はWatsonを脅威には思っていない、わくわくしている」とした。
なおIBMでは、Watsonのコグニティブコンピューティングを活用して、3年生の数学レベルまでを対象にベストな教育方法の提案とともに、パーソナル化した指導を提案できる「Watson Future Advisor」を年末までに教職員に無料で提供することを発表した。
ほんの一部の情報しか使えていない状況を改善できるか
3人目がイスラエルTeva Pharmaceuticals(Teva)のYitzhak Peterburg会長である。
Tevaは、150年の歴史を持つとともに、ジェネリック薬品の最大手であり、100カ国以上に展開。毎日2億人が同社の薬を使用し、米国で処方される5分の1がTevaの薬だという。自らを「世界最大の薬箱を持っている会社」と表現する。
Peterburg会長は、「製薬業界は破壊が起こっており、また、多くのスタートアップ企業も参入しようとしている。一方で、高齢化と高寿命化が進み、ヘルスケアに対するコストが高まっている。患者が『顧客』になっているという状態が生まれている。消費者はなにを求めているのか、安価で、便利であり、なんども病院にいかずに入手し、自分たちのニーズを反映してくれるものだと考えている。これは小売業界などに求められているニーズと同じである。医者に行かずに、スマホで買いたいと思っている人も増えている。こうした人たちに価値を提供する必要がある。そのためには、顧客がどんな生活をしているのかといった情報を得ることで、それに最適な処方をしなくてはならない時代がやってくる」などと述べた。
ここで放映したTevaが制作したビデオは、近い将来の製薬業界の姿を示したものだといえるだろう。
慢性疾患のひとつである「喘息」を持つ男性が、深夜に発作を起こし、やっと見つけだした吸入器を使ったが、すぐに症状が緩和するわけではない。だが、そのときに病院に行くのではなく、その症状をバイタルデータとともに、いまの状況をかかりつけの医師に送信。ビデオチャットにより医師と対話し、その症状をもとにどんな薬がいいのかを判断。患者の自宅に設置された3Dドラッグプリンタから最適な薬を打ち出し、それを飲むことで対処するというものだ。
3Dドラッグプリンタから薬が打ち出されるシーンには、会場から思わず歓声があがった。
また、別のビデオでは、血糖値を下げるためらに服用した薬のなかにはチップが埋め込まれており、服用したことを確認し、体のなかから必要な情報を配信。それによって、さらに対策を行うことが可能になるというものだった。鏡に向かうだけで、薬を通じて体内に入ったチップが収集した情報が表示されるという世界にも驚きの声があがった。
そして、Peterburg会長は、「製薬業界には、データソースが異なる情報が大量にあり、これを意味のある情報にできていないという課題がある。ほんの一部の情報しか使えていないという反省がある。Watsonは、こうした問題を解決できると期待している」と語った。
また、「患者のデータと、何十億という数多くのデータとを組み合わせることで、患者の疾病リスクを予測することができる。その地域の空気の汚染度、天気、アレルゲンの量といった地域性も考慮し、喘息が起こりそうな確率を患者に教え、それを未然に防ぐことができるようになる。これは、個人の生活を豊かにものにすると同時に、病院に行く回数が減ることになり、社会的な意味もある」との考えを示している。
人工知能が命を救う
4人目の登壇者は、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターの宮野悟教授であった。
東京大学医科学研究所では、癌治療において、突然変異をとらえた治療を開始したが、そのためには、発表されている2600万件の医学論文を読む必要があったという。「これを紙で印刷すると富士山の高さを超えるものになる。癌だけでも20万件の論文が発表されている。人間は、これだけ膨大な資料を読むことはできない。癌を理解するのは人間の能力を超えている。だが、幸いにもこれらの資料はデジタル化されている。それをWatsonに読み込ませたら、理解し、学習できるだろうと考えた」と、癌治療においてWatsonを活用するきっかけに触れた。
具体的に取り組みとして紹介したのが、山下あや子さんという66歳の女性の話だ。一昨年、血液の癌の一種である骨髄異形成症候群(MDS)と診断。血液の細胞が作れなくなり、急性骨髄性白血病に至るとこともあるという。
病理学的診断として、2種類の抗癌剤を組み合わせた治療を行ったが、病状は悪化するばかりで、山下さんは死の覚悟もしていたという。
宮野教授は、最高の医療チームが判断した処方であったが、なぜ、この抗癌剤が効かないのかを突き止めることができなかったと振り返る。
Watsonを2015年7月2日に研究目的で導入したが、すぐにWatsonを使って、山下さんの病状について解析を行ったという。約10分間でWatsonが弾き出した解析結果は、別の白血病にかかっており、それはアクション可能な突然変異であるということだった。その結果をもとに、新たな抗癌剤を投与したところ、山下さんは完全に回復したという。
「山下さんは、人工知能は未来のSFの世界のものだと思っていたが、いま、私のところに来てくれたと話してくれた」と宮野教授は語る。
「Watsonは患者だけが受け入れているのではなく、医師も受け入れている。最終的な判断はドクターが行い、Watsonはそれを支援をした。すでに、山下さん以外にも多くの症例が出ている。Watsonは希望の光を与えてくれるものである。日本だけでなく、世界に広がることで、医療システム全体のブレイクスルーになる」と期待を述べた。
クリエイティビティの領域においても効果を発揮
最後のゲストが、EMINEMやImagine Dragonsなどに楽曲を提供している音楽プロデューサーであるAlex Da Kid氏だ。
人との会話をもとに楽曲を作ることが多いというAlex Da Kid氏だが、このほど、Watsonを使った楽曲として「Not Easy」をリリース。それが先週金曜日に、全米ナンバーワンヒットにランクされたという。Watsonがクリエイティビティの領域においても効果を発揮した事例だ。
「ソーシャルメディア、ブログ、新聞などからあがってくる何百万人の人たちの会話をWatsonが分析し、人々が感じていること、関心を持っていることを分析する。また、歌詞や曲も分析して、ヒット曲のパターン、歌詞の構成など、言葉同士の関係も分析。そこから曲を作り上げた。Not Easyは成功した曲になった」とコメント。
「音楽業界は大きな変化がある業界で、常に新たなものを求めている。Watsonは、新たな仕事の仕方を示したもので、言い換えればギターのようなツールでもある。人が気に入る音楽を作ることができるツールともいえる。Watsonによる楽曲は、これから3曲出てくることになる」などと述べた。
そして、「Rometty会長にぜひミュージックビデオに出てほしい」と要望して、会場を涌かせてみせた。
最後に、Rometty会長は、「私が刺激を感じているのは、世界を変えること。多くの人々を助けたい」としたほか、「クルマ、教育、医療といった世界だけでなく、人々が最もクリエイティブだと思っているエンターテイメントにおいても、Watsonが支援している。人に取って代わるのではなく、一緒に世界を変えている。歴史を振り返ったときに、あそこが転機だったと思えるタイミングがいま来ている。道のりはまだ始まったばかりである。Watsonは、生まれてから5年しか経過していないが、すでに英雄のような存在である。これから5年先には、様々な意思決定をするときに重要な役割を果たしているだろう。そして、みなさんに、IBMを信用してもらって感謝している。みなさんがいないとIBMは存在しない。Watsonによって、健全で、楽しく、安全であり、公平で、正しい世界になることを期待したい」と述べて、講演を締めくくった。