事例紹介

瓦礫の下の医療、ITの役割は?~災害派遣医療チーム・DMATの訓練を見てきた

阪神淡路大震災 20周年 特別企画

一人でも多くの命を助けよう

 1995年1月17日午前5時46分52秒。淡路島北部沖の明石海峡を震源とし、M7.3の巨大地震が発生した。阪神淡路大震災――。

阪神淡路大震災(出典:消防科学総合センター「災害写真データベース」)

 死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名。ビルや高速道路、多くの木造家屋が倒壊し、発生時刻が早朝だったことから、犠牲者の80%(約5000人)が就寝中に建物の下敷きとなったことが原因で亡くなった。

 意識清明であった被災者が救出とともに急変し腎不全・心停止に至る「クラッシュ症候群(※)」をはじめ、瓦礫に挟まれたまま火の手に巻き込まれた例、適切な初期医療が受けられずに命を落とした例も少なくなかった。

※クラッシュ症候群……体の一部が瓦礫に長時間挟まれると、筋肉細胞が壊死し、ミオグロビンやカリウムといった有毒物質が蓄積される。救助され、圧迫から解放されると血流を通じて毒素が全身に広がり、腎不全や心停止を招く場合がある。救助後の安堵感の中で心停止に至ることもあるため、別名“スマイリング・デス”と呼ばれる。阪神淡路大震災で広く認知されるようになり、救助と医療が連携する必要性を高める一因となった。

 後の調査でも初期医療体制の遅れが指摘され、「平時の救急レベルの医療が提供できていれば、犠牲者のうち500人は助かった可能性がある」と報告された。これを教訓に「避けられた災害死」を回避しようと発足されたのが「DMAT」である。

 また、病院情報が共有されず、災害当日に病院Aでは「医師1人あたり3.3人の患者」を診察したのに対し、病院Bでは「医師1人あたり147.6人もの患者」を抱えていたことも後に判明した。もしも情報が共有できていれば、病院Bを支援することもできたはずだった。この反省を基に構築されたのが「EMIS」である。

 そう、すべてはちょうど20年前の、あの震災の日から始まったのだ。

 活動の根底にはあるのは「1人でも多くの命を助けよう」という使命感。この過酷な活動は驚くことにボランティアで営まれている。

 DMATは初出動となった新潟県中越地震(2004年10月)、事故で初出動となったJR福知山線脱線事故(2005年4月)、殺人事件で初出動となった秋葉原通り魔事件(2008年6月)、広島土砂災害(2014年8月)、御嶽山噴火(2014年9月)をはじめ、多くの出動実績を重ねてきた。

 ところが、2011年3月11日――。日本社会に多大な課題を突きつけた東日本大震災が、災害医療の観点からも忘れられない出来事となってしまう。

東日本大震災では「無力感」

 死者15,889人、重軽傷者6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,598人(未確認情報を含む)。“TSUNAMI”の脅威を世界に知らしめ、原子力発電所の事故まで招いた東日本大震災。

津波被害と陸前高田市役所の様子(出典:消防科学総合センター「災害写真データベース」)

 発災後、DMATは47都道府県すべてから東北に派遣された。その数、10日間で実に約340チーム・約1500人である。しかし、犠牲者の大半は津波による溺死で、DMAT本来の目的である災害医療を成し得たチームは少数だった。この時の状況を、利根中央病院の関原外科部長は「無力感」と振り返る。

 ただ、病院で対応しきれなくなった腎臓透析患者80名の広域医療搬送という「機動性」が生かされた事例があった。その後は災害急性期の活動よりも、慢性疾患の高齢者のケアへと活動の軸足は移っていったという。

 一方、深刻な課題となったのが、まさにITの運用である。

 津波により三陸沿岸では携帯電話の固定基地局が壊滅し、固定・携帯電話は使えず。衛星携帯電話もつながりにくく使い勝手はよくなかった。唯一、衛星インターネット回線が生きていたが、すべてのDMATに器材が配備されていたわけではなかったため、結局はうまく機能しなかったという。

 EMISは利用できず、孤立状態となる病院も。約150人の患者が取り残され、このままでは生命が危ないと、災害翌日の12日に事務員と医師が腰まで水に浸かりながら救助を求めに行った例もあった。

 町そのものが消滅するような災害に、情報通信をいかに運用するか。東日本大震災以降、さまざまなところで議論されているテーマだ。厚生労働省 DMAT事務局の大野龍男氏は「まだ、形となった対策は多くない」というが、それでも少しずつ、改善が進められている。

 たとえば、DMAT全隊員への衛星通信手段の配備や、全県・全災害拠点病院へのEMIS導入などが提案された。実は震災時に宮城県が未導入だったため、情報共有はより困難だったのだ。現在は全都道府県に導入が完了している。

 官民連携での協力も進み、衛星携帯電話によるデータ通信(EMIS)体制の確保のため、2012年にJAXAと提携。「きずな」を利用した衛星インターネット回線を構築した。また、ウェザーニュースからはドクターヘリなどの位置をGPSで捕捉する「航空機動態管理システム」、シスコからは衛星アンテナ、無線LANアクセスポイント、スイッチ、IP電話をセットにした「Cisco Emergency Communication Kit」などが提供された。

 さらに東日本大震災では電話回線の復旧に移動基地局が活躍したこともあり、IPSTARとの移動式衛星基地局の運用連携が進められている。

SCUに設置されていたJAXA提供の衛星アンテナ。「きずな」による衛星インターネット回線を構築する
通信設備
ウェザーニュース提供の「航空機動態管理システム」。ドクターヘリなどの位置をGPSで追跡する

DMATとして今後の方針

厚生労働省 DMAT事務局の大野龍男氏

 これらを踏まえつつ、東日本大震災を経験しての今後について大野氏に聞いてみた。方針としては、大きく2つあるという。

 「1つはロジスティクス強化。今回の震災では、通信手段の確保、車両や宿舎の手配、医療資機材の調達などさまざまな弱さが露呈した。もともとDMATは自己完結で活動する想定だったが、被災地に入った医療チームにはさまざまなサポートが必要となり、実際にさまざまな人や団体から支援を受けながらの活動となった。今後もこうした団体との協力体制を築いていきたい」。

 「もう1つは長期活動できる体制づくり。今回の震災では活動期間が長引き、先遣隊のみでは厳しかったのだが、今までDMATは48時間程度の活動を想定していたため、二次隊・三次隊の派遣が困難だった。今後予想される大震災では“医療の空白”を埋めるために、後続派遣も含めて1週間程度は活動できるように強化していきたい」。

 また「現在、DMAT登録数は1323チーム・8327名。現状はこの規模を維持し、質を高めることを最優先にしている。そのためには装備や機材を充実し、訓練と研修を重ねて習熟を図ることが必要不可欠。その中には、通信手段として最新のITを採用する必要も出てくると思う」としている。

 東日本大震災級の災害となると被害は想像を絶し、どんな状況にも完全に耐えるITの実現は困難だろう。それでも技術は決して無力ではない。IT企業にはぜひ、こうした取り組みに支援の手を差し伸べてほしい。

 日本は世界に類を見ないほどの災害大国だ。台風や地震はこれからも必ず訪れる。今後の大災害で、東日本大震災の教訓は生かされるか。そのとき、日本の災害医療が試される――。

川島 弘之