事例紹介

初の人口社会増、相次ぐ視察――地方創生「神山の奇跡」はなぜ起きた?

グリーンバレー理事長の大南信也氏

 町内全域に整備された高速ブロードバンド網。自然の溢れる環境。そこにSansan株式会社がサテライトオフィスを開設したのが2010年。その後も移住者が増え、2011年に人口の転入が転出を上回り、町史上初の人口社会増となった徳島県神山町。現在、地域活性化のモデルケースとして全国から注目を集め、視察が相次いでいる。

 その“奇跡”はいかにして起こったか――。

 推進役を担うグリーンバレー理事長の大南信也氏が「サテライトオフィスの誘致は結果として起こった現象。現象だけをそのまま他自治体に持ち帰ってなぞるのは少し違うのではと考えている。現象にはプロセスがあり、その都度どのように対応してきたかにこそ、物事の本質がある」と語るように、現状に至るまでには多くのドラマがあった。

 「物事の本質を掴んでおかないと、地方創生がとんでもない方向に進みかねない」と指摘する大南氏。神山町で起こったことを改めて振り返り、今後の地方創生に生かせるヒントを探りたい。また、視察が増えたため、そのスケジュール管理にサイボウズ株式会社の「kintone」を活用しているという。そんな最新動向もお伝えする。

神山に移住需要が顕在化した瞬間

 神山の奇跡を紐解くためには、時間を少しさかのぼる必要がある。

 徳島県の北東部に位置する神山町。1955年に2万1000人を数えた町民も、2015年には6000人に減少している。そうした中、8年ほど前に大南氏が掲げたのが「創造的過疎」という考え方だった。

 過疎地において人口減少はもはや不可避なので、数ではなく質を重視しようというもの。産業振興も農業だけでは難しいため、発想を変え、多様な働き方ができる「ビジネスの場」として価値を高めようと考えた。それを「創造的過疎」として提唱したのだ。

 1999年当時、神山町では「文化・芸術」による町おこしに取り組んでいた。行政の事業として立ち上がった「とくしま国際文化村プロジェクト」に対して、グリーンバレーから「行政主導で立ち上げても、いずれ民間の運営が必要となるはずだから、最初から住民視点で作ろう」と県に提案し、その具体策として「神山アーティスト・イン・レジデンス」という取り組みが始まっていたのだ。

 毎年3名の芸術家を国内外から招き、町民が制作を支援するというもので、「芸術による町づくり」として全国的にも人気の取り組みである。シンプルに考えれば「作品を見学にくる観光客を増やす」のが狙いとなるが、そのためには評価の定まった著名な芸術家の作品を集め続けなければならず、資金が潤沢ではなく、芸術の専門家もいない神山町には難しかったという。そこで別の手法を考えた。

 制作に訪れる芸術家に着目し、神山での滞在満足度を高めようというものだ。大南氏は「『アート作品を作るなら神山がいいね!』という評価を創ろうと考えた。そのためには神山の『場の価値』を高めなければならない。神山にはお遍路さんをもてなす『お接待』の文化があるので、その精神を生かして取り組んだ」と話す。

 この取り組みを8年ほど続けたころ、ビジネス化への模索が始まる。考えたのが「欧米の芸術家に宿泊・アトリエを有償提供する」というもの。その足がかりとしたのが、国内外へ神山の魅力を伝えるWebサイトの制作だった。

 そして、2008年6月に「イン神山」というWebサイトが公開された。当初は芸術関連のコンテンツが一番読まれるだろうと一生懸命作り込んだそうだが、ふたを開けてみると、人気を博したのは意外なコンテンツだった。

 「神山で暮らす」――神山の物件情報として古民家を紹介するコンテンツだ。他の5~10倍のアクセスがあったという。「インターネットに神山の物件情報の小窓が開いたことで、移住需要が顕在化した瞬間だった」(同氏)。

イン神山

地域に仕事がないのなら、逆転の発想で

 とはいえ、実際に移住者を呼び込むためには、地域に「仕事がない」「雇用がない」というハードルを越える必要がある。そこで「神山で暮らす」というコンテンツにもう1つ仕掛けを施した。「ワークインレジデンス」という仕組みだ。

 それは「地域に仕事がないのなら、仕事を持った人に移住してもらえばいいのでは」という考え方。大南氏によると「それも『仕事を持った人なら誰でも』では面白くないので、町の将来に必要な働き手を『逆指名』した」という。たとえば、石窯で焼くパン屋がないので、この空き家はパン屋に限るといった具合だ。通常、移住者がそこでどんな仕事をするかは結果だが、あらかじめ職種を限定することで、町のデザインが可能になったという。

町の将来に必要な働き手を「逆指名」

 神山町には、上角谷川を挟んで古くからの商店街がある。しかし、1995年に38を数えた店舗数も2008年には6店舗を残すのみとなっていた。ここの空き家を埋めるように、ワークインレジデンスで人を呼び込んだ。グリーンバレーも「地域活性化センター」の助成金を活用し、東京藝術大学の学生とともに1軒の古民家を改修した。

 この古民家を借りたいと申し出たのが、英国人ながら、日本のいいものや面白いものを世界に発信し、神山においても「イン神山」のWebデザインに関わっていたトム・ヴィンセント氏。再生された古民家は「ブルーベアオフィス神山」と名付けられた。

 軌道に乗るように、このあたりからは急展開をみせる。

 ちょうどこの頃、米国で活動していた日本人建築家2名が帰国する。坂東幸輔氏と須磨一清氏の両名だ。坂東氏が徳島出身だったことから、グリーンバレーから古民家再生を一緒にやろうと声がけしたところ快諾。さらに須磨氏が慶應義塾大学で同期だったのが、Sansan代表取締役社長の寺田親弘氏だった。シリコンバレー勤務経験を持ち、社員の働き方に課題を感じていた寺田氏は、須磨氏から神山の話を聞くと、すぐに神山町を訪問。大南氏と出会い、サテライトオフィスの設立を即断即決。こうして「サテライトオフィスの神山」への道筋が一気に開けていく。

 「最初からサテライトオフィス誘致を計画していたわけではなく、古民家再生のプロセスの中で突然変異で生じた現象」と語る大南氏。冒頭の言葉のように、「ITインフラと遊休施設、入りたい企業がいればどこでも再現できるというのはちょっと違う」と指摘するのは、「人のつながり」を重要視するからだろう。サテライトオフィスの流れは、「ヒトノミクスから生まれた」と述べている。

人とのつながりから新たな道筋が開けていった

 こうした動きに注目したテレビ局を通じて、ある1枚の写真が全国に紹介される。大自然を背景に足を川に浸しながら、男性がノートPCを開いている写真だ。それは地方でのテレワークの風景を鮮やかに表現した1枚だった。

 「この1枚が神山の運命を変えた」と大南氏。

この1枚が神山の運命を変えた

地域の価値を地域で決めつけてはいけない

 神山にサテライトオフィス設置あるいは本社移転などに踏み切った企業は現在12社に。サテライトオフィスについては当初、「本社から循環滞在者が出るだけで、町にはそんなにインパクトにならないのでは」と言われていたが、実際には常駐者(移住者)が現れ、開発拠点が設立されるなど、町の新たな雇用も生まれているという。

 たとえば放送関連事業を展開するプラットイーズは、「えんがわオフィス」を建設し、番組情報(メタデータ)を放送局に配信する事業で20名の町内・県内雇用を生みだした。さらに4K8K映像保存事業でも数年後に数十名のエンジニア・クリエイターの働く環境を実現する予定という。

 デジタルとアナログを駆使してプロモーションツールなどを手がけるドローイングアンドマニュアルは、サテライトオフィスを設立するにあたって、自分たちで古民家を見つけてきた。それは古くて、本来であれば神山町からはオススメしないような物件だった。ところが、そうやって神山町が値打ちがないと決めつけたものに、値をつける人が沢山いたという。

 大南氏は「ここに地方創生の本質があるのでは」と述べる。「大事なことは、地域の値打ちを自分たちで決めつけず、外に価値判断をゆだねること。自分たちが気づいていないことは多いと感じた。ポイントごとに見方を変える、すると見え方も変わり、固定概念が崩れる。今後の地方創生にはそういったことが必要では。そのためにはまず行動してみるのも重要だろう」。

 ドローイングアンドマニュアルは徳島県とともにPR動画を制作している。「徳島には昔から引き継いできたモンと、なにくそーっと出来たモンと両方あるよな。それは東京には絶対にないもんでよ。徳島がな、日本の都道府県で初めて東京の価値観を変えてみせる。徳島が東京を救ったるわ!」と活気に満ちた「vs東京」という動画だ。ここにも地方創生の本質が見出せる。「これまで地方は“小さな東京”をめざしてきた。けれど、これからはそれぞれの地域が、東京都とは違う価値観を打ち出していくことが必要なのではないか」(大南氏)。

vs東京

 サテライトオフィス誘致に際して、徳島県や神山町は多額の予算を計上していない。それでも企業はやってくる。その理由は「企業はイノベーションを起こしたいと思っている。イノベーションには『お金』ではなく『場』が必要。それを企業も知っていて、神山がそういう『場』として見られるようになっている」からだと説明。

 たとえば、「ショーシャンクの空に(1994年)」や「アイ・アム・サム(2001年)」などの映画予告編を手がけた予告屋代表の広瀬浩二氏は、移住するにあたって自らログハウスを建てた。そしてこんなコメントを残したという。「僕が創ったのはこれからもずっとこの土地に残っていく家。いわばゼロからつくった古民家のようなもの。今から100年後、僕の知らないどこかの夫婦がこの家で子育てしてくれていたら、こんなにうれしいことはない」。

 大南氏はこのコメント自体に顔を和ませる。「いまの神山には広瀬さんのように、自分のことで完結せずに、その先まで見据えられるような人が集まっている。サテライトオフィスではなく、こういう人たちこそが神山の強みになっている」。

 2011年に人口の転入数が転出数を上回り、町史上初の人口社会増となった神山町。その奇跡はこうして起こった。その後は再び転出数が上回ってはいるものの、以前と比べたら転出と転入の差は小さくなっている。また、2010~2013年の移住者は58世帯・105名で、その平均年齢は30歳前後。子どもも27名含まれている。大南氏は「若い人が入っているため、社会減となっていても町の活力は失われていないと考えられる」としている。

相次ぐ視察、スケジュール管理に「kintone」

 さて、総務省では現在、「ふるさとテレワーク」というプロジェクトを進めている。「地方オフィスで本社機能の一部を遂行する」「子育て・介護で地方へ移住する社員が勤務を継続する」「クラウドソーシングで都市部の仕事を地方で受注する」「都市部の企業が人材を地方で新規採用する」という4つの類型において、「いつもの仕事をどこでもできるテレワーク」を推進しようというもの。そのための実証プロジェクトが始まっているが、総務省の資料ではその参考例として神山町にも触れている。

 こうしたことも背景に、急増しているのが神山への視察である。2014年は年間2500もの団体・個人が神山町を訪れたという。最初は電話・メール・SNSなどで問い合わせを受けてから、関係する行政・企業・グリーンバレーの予定を調整してスケジュールを組んでいたが、一つ一つが手作業だったため、時間も手間もかかっていた。

 そこで導入したのが「kintone」だ。神山町にサテライトオフィスを開設し、業務システムなどのコンサルティングを行う株式会社ダンクソフトが提案した。

 具体的にはkintoneと、サイボウズスタートアップス株式会社が開発した「フォームクリエイター」を利用し、視察の申し込みとリストの管理を一元化している。視察希望者は「イン神山」から申し込むことが可能で、その情報が自動的にkintoneに蓄積される仕組みだ。

kintoneで視察用ポータルを構築

 情報がクラウド上に一元化されたことで、グリーンバレーのスタッフだけでなく、町役場、県庁、民間企業まで、視察に関わるすべての人が同様に情報を得られるようになった。「単に作業効率が向上しただけでなく、行政と民間とNPOに垣根を越えた一体感が生まれ、視察者に神山町の魅力をより伝えられるようになったと感じる」と大南氏。

 kintoneに登録された情報を集計・グラフ化することで、視察者の属性も分析できるようになった。徳島県庁では「今まではどんな人が視察に来たか、感覚値でしか把握できなかったが、視覚化したことで一般企業や学生の割合がまだまだ少ないといったことが分かるようになった。これを踏まえ、現在は法人や学生にもっと足を運んでもらえるような取り組みを進めている」という。

視察の申し込みフォーム
視察者の属性も分析できるように

 また、kintoneとiBeaconを組み合わせたアプリも誕生した。ダンクソフトが開発した「神山のガイドさん」というもので、視察対象となるさまざまな場所にBeacon端末が設置され、近づくとその場所の案内をスマホに表示する。そのBeacon端末とコンテンツを登録・管理する仕組みをkintoneで構築している。

オーガニックフードの神山へ

 こうした中、サテライトオフィスやワークインレジデンスの取り組みは、神山に新しい別の潮流も生み始めているという。

 ワークインレジデンスで職種を限定して移住者を呼び込む。結果、商店街が町の意図したとおりにデザインされ、再生していく。地元の人や移住者とも、どんなお店があればいいかを考えながら、空き家を埋めていった結果、オーダーメイドの靴屋やお総菜屋などが開店した。「これから地方に求められるのは、テーマパークのような商店街」と大南氏が語るように、「ここにしかない商店街」ができつつある。

 新しい潮流とは、このワークインレジデンスから始まりつつある「オーガニックフードの循環」のことだ。移住者がオープンした1軒のビストロ。そこで出されるパンは、移住者が有機栽培した小麦のパン。コーヒーや野菜も同じく移住者が有機栽培したもので、それが地元のビストロで消費される。地元の住民も刺激を受け、イチゴやすももを栽培する農家がジェラートにしてビストロに納めるなど、「オーガニック好きな人の循環が生まれている」のだという。

ワークインレジデンスで再生しはじめた商店街
オーガニック好きな人の循環が生まれている

 大南氏はこの動きについて次のように説明する。

 「芸術家の移住、ワークインレジデンスによる仕事を持った人の移住、サテライトオフィスの設立が新しい人の流れとなり、いままでなかったサービス産業を生み出した。そこで地元の農産物が使われ、“本丸”である農業の活性化につながりつつある。ここまで見えてくると、次の戦略が考えられる。有機農業者を戦略的に集め、流通の経路も地産地消とする。数年後には少なくとも四国では随一のオーガニックフードの町になっているはず。これからの地方創生は、内部循環型。内部でさまざまなサービスを生み出し循環を作り、その渦に外の人を巻き込む。そうして『おいしいものを食べたければ神山に』という形を創ることだと思う」。

神山における地域再生のモデル図

 神山で芽吹いた地方創生の種。今後、他地域も含めどんな花を咲かせるか。総務省のふるさとテレワークは現在、実証実験に向けて参加団体を公募中だ。それぞれが地域の特色を生かして地方創生を進めていけるか。直近ではその動向に注目してみたい。

川島 弘之