事例紹介
失われつつある「絆」を守る! 福島・浪江町の全町民端末配布事業で「怒涛の展開」
「Code for Japan」による行政革新事例
(2015/3/3 06:00)
東日本大震災からもうすぐ丸4年。東北には今も復興にあえぐ町がある。土地の多くがいまだ帰還困難区域(放射線の年間積算線量50mSv超)に指定されている福島県浪江町もその1つ。それでも比較的汚染の少なかった沿岸部を中心に、4年振りの稲刈りが行われるなど復興の兆しも見えつつある。
一方で課題は「全国に散らばっている避難町民の“絆”が失われつつあること」だと浪江町役場復興推進課の小島哲氏は語る。
浪江町ではその対策として、2014年に“全町民にタブレット端末を配布”し、町と町民のコミュニケーションと情報をつなぐ事業を開始した。同様の取り組みは福島県内の4町村ですでに実施済みというが、浪江町がひと味違ったのは、その実現に向けて「フェローシップ」「入札情報公開」「アジャイル開発」などのユニークな方法を採り入れたことだった。
復興へ向かう浪江町のこの1年間の取り組みをお伝えする。
時が止まった町
福島県の最東端に位置する浪江町。海岸から北西に細長く、海と山に恵まれた土地には、桜の咲き誇る「請戸川リバーライン」、千年の歴史を持つ「相馬野馬追」、東北有数の「鮭のヤナ場」、極寒の火防祈祷「裸参り」など、歴史と文化が豊かに根付いていた。
ところが、2011年3月11日――。大地震と津波に町を蹂躙(じゅうりん)され、原発事故の放射能汚染をまともに浴びてしまった同町。全壊家屋651戸を数え、現在(2014年10月31日時点)も全町民(2万1434名)が県内外で避難生活を余儀なくされている。放射線の影響で人が立ち入らないため、雑草が生い茂った町の様子は「時が止まった町」とも表現された。
それでも汚染の少ない沿岸部を中心に、少しずつ復興が進んでいる。幹線道路の除染作業から始まり、津波であふれた瓦礫の仮置き場造成や、2014年秋には4年振りに稲刈りが行われた。また、町役場の近くではコンビニが再開し、2014年12月6日には常磐自動車道・浪江ICが、2015年3月1日には常磐道全線が開通。動脈が蘇ったことで復興の加速が期待され、2016年度末頃からの「帰還」をめざした「ふるさと再生のロードマップ」も描いている。
全町民へのタブレット配布事業
一方で、どうにもし難いのが町民の“心”である。2014年夏に行われた調査では、地元の避難指示が解除されても「戻らない」とした町民が48%超。1年前の調査と比べても、ふるさとに対する“心離れ”が進んでしまったという。
何より浪江町が憂えたのは、避難町民の“絆”が失われつつあることだった。町民の避難先は、和歌山県以外の全都道府県・600以上の市町村に分散している。知り合いのいない場所で感じる孤独、考え方・ライフスタイルの違いによる求める情報の差、生活環境の違いによる情報の格差――。「放射能の危険性に関してもそれぞれ考え方が異なるように、あの震災は意見・立場の対立を生む事象があまりに多すぎました」(小島氏)。
“絆”を維持するために踏み切ったのが、町からの情報発信を強め、町民同士のコミュニケーションを活性化し、生活の品質向上をめざした「浪江タブレット事業」である。全町民にタブレットを配布し、情報発信やコミュニケーションのためのアプリを開発するという取り組みで、実は福島県内の4町村ですでに実施されているものだ。
しかし、4町村の後を追うように、ひょいとすぐには取りかかれない事情があった。「導入にあたってまず悩んだのは、導入済みの4町村のタブレット利用率が50%前後、しかも1カ月に1度電源を入れただけの場合もカウントしてその数字、と結局あまり利用されていないことでした」。問題はおそらく業者主導でシステム(アプリ)を開発したため、住民のニーズとかけ離れてしまったことだと分析。「なにか別の方法はないかと考えました」と小島氏は語る。
この取り組みはそこからの展開が凄かった。
手を組んだのは「Code for Japan」
開発に向けて浪江町がまず手を組んだのは、ITベンダーではなく、市民主導で地域の課題を解決するためのコミュニティ運営、技術支援を行う非営利団体「Code for Japan」だった。
Code for Japan代表の関治之氏によると「生活していて感じる不便。自分たちで解消できるのでは?」という発想に基づき、「問題があったら行政に不平不満を言うのではなく、行政と一緒に手を動かし、ともに考え、ともに作る。しかも楽しく!」をモットーに活動する組織で、自治体が住民とともに課題を解決できるような支援を行っている。
主な施策は、課題を抱える自治体へ民間技術者を派遣する「フェローシップ」。派遣された技術者は復興庁などと雇用契約を結び、自治体に常駐。基本1年間、自治体が必要とするアプリの開発などを主導する。その活動をCode for Japanも全面的にバックアップするというもので、現在、全国21自治体でプロジェクトが進行中。アンケート、ワークショップ、アイデアソン、ハッカソンと市民を巻き込んだ活動を通じて、「市民発」といえるアプリが増産されている。
これは「Civic Teck」として世界でも有名な取り組みで、米国の「Code for America」では過去5年で30都市に103名を派遣した実績があり、行政におけるイノベーション事例として各国も注目。エンジニアやデザイナーにとっても花形の職業(キャリアパス)となっており、約100名の募集に650名以上が応募した例があるほか、AppleやGoogleを辞めてフェローになるケースも多いという。
関氏によれば「浪江町の取り組みを耳にして、Code for Japanでなにかお手伝いできないかと思いました」と、そんな経緯で両者のタッグが実現。Code for Japan側で人材を募集し、2名のフェローを浪江町に送り込むことに成功した。
そのうちの1人が、当時、外資系コンサル会社に勤めていた吉永隆之氏だ。
市民を巻き込んで事業推進
吉永氏は地方をITで元気にしたいと、企業の経営戦略を練るプロジェクトマネージャーのような仕事をしていた。そこでスキルが上がってくると、別のフィールドにも挑戦したくなり、そんな頃に浪江町のフェローシップの話を耳にしたという。
「その時はプロジェクトをまとめるキャプテンとデザイナー、エンジニアの3名の募集があって、僕はモノは作れないのですが、プロジェクトを管理したり、指示したり、人と人との調整は得意な方だと思ったので応募しました」(吉永氏)。
フェローに抜擢されると、「こんな機会は絶対ない」という家族の言葉で会社を辞め、2014年7月1日付で福島県浪江町復興推進課へ。住まいも神奈川県から福島県郡山市に移した。吉永氏がプロジェクトに参加したのは、これから事業を具現化するにあたって仕様書をまとめようという段階。そこで役場や、町民の希望を拾っているCode for Japanの意見を聞き、自らも直接町民の声を聞きながら、「本当に望んでいること」を取りまとめていった。
「初めは右も左も分からず、要望を聞くのに精一杯でした。最初にショックを受けたのは、タブレットの配布もアプリの作成も、町民が困っているならその問題を解決しようという意気込みでいたんですが、町民にも役場の職員にも『そもそもタブレット配布って何の意味があるの?』という人がいたり、直に『タブレット配布には反対だ』と言われたりもして」――と、まさにゼロからのスタートだったという。「でも、そう言われたので、なおさら、そういう意見をひっくり返せるほどのものを作りたいと思いました」。
ヒヤリングやアンケートを取りまとめ、「町役場の職員から『あの人誰?』『タブレットの人だよね』と言われながら(笑)」、アイデアソンやハッカソンも実施。アイデアソンには420名・770アイデアが集まり、ハッカソンではプロトタイプを町民に見せて直接評価してもらうなど、要望に耳を傾けながら仕様を固めていった。
アプリの開発手法は、住民の考えを常に取り入れるために「アジャイル開発」。しかし、自治体の入札案件でアジャイル開発が要件となるのはまだ珍しいという。「ウォーターフォール型と違って仕様もガチガチには固めず。そのあたりのノウハウはCode for Japanから支援を受けました」と小島氏は語る。
入札情報をすべて公開
入札も一風変わった方法だった。仕様、ベンダー、提案内容、その審査結果をすべてインターネットで公開したのだ。
入札に参加したのは、富士通、シンク、NECソリューションイノベータ、東北博報堂、C4ビジネスインテグレーション、NTTドコモだったが、各社プレゼンの様子も動画で公開されている。落札したのは富士通で、アプリ開発は9月からスタート。こうした進め方により、浪江町では「予定調達額より1億円以上も削減できた」としている。
怒涛のアジャイル開発
開発にあたっては、避難町民を「みんなの相談役」「巻き込み隊長」「おひとり様」「ピボット家族」「SOS」の5つの利用者像に分類し、それぞれのニーズに応える形で進めた。
現状で形となったアプリは、町からの情報を発信する「なみえ新聞」、町民同士で近況報告できる「なみえ写真投稿」、タブレットの使い方を順序立てて学べる「なみえタブレット道場」の3種類。
「なみえ新聞」には、県外では入手しずらい浪江町情報、町民イベント情報、復興情報などを掲載。町民の応募作品から、オリジナルキャラ「うけどん」も生まれた。「請戸川の鮭をイメージした帽子、いくらをイメージした髪の毛、大堀相馬焼のどんぶりに入った小さな女の子」で、アプリの操作を健気に案内してくれる。
「なみえ写真投稿」には、町民が日頃のうれしい出来事などを投稿できる。タブレットは一家に一台配布されており、知り合い同士で離ればなれになっていたり、高齢者や若い人が同居したりする場合も、「コミュニケーションのきっかけになってほしい」という思いが込められた。
「なみえタブレット道場」は、タブレットの箱の開け方・電源の入れ方・充電方法といった基礎的なものから、「なみえアプリ」やLINEのような一般アプリの使い方にまでおよぶ丁寧な作りとし、動画を視聴するほど白帯から黒帯へと段位が上がっていくゲーム要素も採り入れた。
開発はフェローを中心に浪江町役場、Code for Japn、富士通がチーム一丸となって取り組むスクラムベースのアジャイル方式。アプリの基本的な機能は2週間のサイクルで作ってはチェックし、ダメなら改善を繰り返し、並行してUI/UX会議も1週間のスパンで実施した。
デザインを担当したもう1人のフェロー・小俣博司氏から、UI/UXについて一例が紹介されたが、町民の使い心地を聞きながら、縦書き・横書きを試したり、情報の集約方法に悩んだり、高齢者の読みやすさを追及したりと、当時の速度感がまざまざと目に浮かぶものだった。
それでも開発はまだ途上という。2015年1月から実運用として、全町民に実際にタブレットが配布され、2月からは全国に飛び回っての町民講習会も順次進めている。「それでもタブレットを使いたくない人、興味のない人もいます。いろんな考えの人がいる中でいかに使ってもらうか。その悩みは現在も解決したとは思っていません」(小俣氏)。
実際、3月には放射線マップアプリをリリースする予定で鋭意開発中だが、「放射線情報は出し方が難しくて、町民によっては見たくないという人もいます。そうした中でどういう見せ方にするかを考えなくてはいけません。まだまだやることは盛り沢山です」という。
同事業は2015年4月以降も継続が決まっている。4月に県内外ヒヤリングやプロトタイピング、5月にブラッシュアップイベントを予定し、7月頃から再び開発事業者を選定する予定だ。
新規フェローを募集中
それに伴い、Code for Japanではプロジェクトマネージャーとなる「キャプテン(応募はこちら)」と「デザイナー(応募はこちら)」の新規フェローを募集している。
プロジェクトマネージャーは、吉永氏が7月で契約満了となるため、その仕事を引き継ぐ形となる。自分で意志決定をするシーンが多く、逆にいうと、自分が必要と思うものを調整しながら実現できる仕事だ。具体的には、現行アプリの改善検討と新機能をアウトプットすることがミッションとなり、要件定義や仕様書策定などを担当する。Code for Japanもサポートするので、初めからすべてのスキルがそろっている必要はなく、コミュニケーション能力が重要とのこと。
業務開始は最短で5月頃からとなる。関氏は「待遇は必ずしもよくはありません。浪江町近辺への引越も必要です。ただ経験としては、普通の会社では得られないものがある。そのあたりを理解した上で、それでもやりたいという方の応募をお待ちしています」と述べている。腕に覚えのある人は、ぜひCode for Japnにコンタクトを取ってほしい。
得がたい経験については、吉永氏のインタビューの言葉から。
「プロジェクトの中心にいるので、頼られるし、自分が引っ張っていくというプレッシャーは常にあります。町の人にどうやったら使ってもらえるかを考え続けなければいけない。月に一度くらいで、それまでにできているものをお披露目するユーザー体験会を開くのですが、その直前は制作作業の詰め込みがすごいんですよ。みんなで夜中までがんばって、やり遂げた感動があって、でも町の人に全然使ってもらえそうになかったりすると、すげー打ちひしがれて、どうしようと悩む。その繰り返しで、どんどんいいものになっていく」。
「そういうことを実践できて良かったし、柔軟に働くという点で自分も成長できたかなと。事業全体にかかわって、全部自分で判断してやるという濃い体験。面白かったですね」
「浪江町にはなみえ焼きそばもおいしいお酒も、僕自身まだ気づいていない良さもたくさんあります。次のフェローには、アプリも浪江町での開発コミュニティも作りかけなので育てて欲しい。今までのものが正解というわけではないので、ボロカス言って、もっといいものにしてもらえればいいと思っています」。