ThinkPad 20年のあゆみとレノボの「守りと攻め」の成長戦略
レノボ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 渡辺朱美氏 |
レノボ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 渡辺朱美氏は、ThinkPad X1 Carbonの発表会で、2012年の第一四半期4~6月期の数字をもとにPC事業の概況を説明するとともに、ThinkPad 20周年について、自身が技術者として開発に携わったThinkPadへの思い入れを語った。
渡辺社長は、直近の4~6月期の四半期決算について、対前年で売上高は35%増、純利益は30%増と非常に好調に伸びていると説明。ワールドワイドでのPC市場シェアは15%となり第2位だが、1位との差はわずか0.7ポイントにまで迫ったとした。
大きく成長したレノボだが、市場全体の状況は厳しく、ワールドワイドでPC市場は4~6月期に対前年比で-2%とマイナス成長となっていることを挙げ、渡辺社長は「市場が厳しい中でも利益を確保しながら成長し続けることができることを実証した」と述べた。
また、11四半期連続で、業界でもっとも高い成長を遂げることができたと述べ、この成長を支えているのが、今年20周年を迎えるThinkPad製品だと説明。現在160カ国で販売しており、ワールドワイドで法人向けノートPCの分野で最も多い出荷台数を誇っているとした。
日本市場についても、12四半期連続で業界の平均成長率を上回る成長を続け、毎期シェアを伸ばしてきたと述べ、4~6月期には過去最高の7.8%のシェアを取ることができたと述べた。
日本市場ではとくに、国内に大和研究所という開発拠点を持っているために、顧客企業に開発拠点を見てもらい製品への信頼感を高めると同時に、開発者も顧客の声を直接聞くことで、製品開発にフィードバックすることができていると説明。世界的に見ても非常に製品の品質などに対する要求レベルが高い日本市場の声を製品に反映することが、ワールドワイドで製品の支持が広がる結果につながっているとして、日本に開発拠点を持つ意義を強調した。
渡辺社長は2012年のレノボの「守りと攻め」の成長戦略を紹介。具体的にはたとえば、法人向け市場のシェアを守りながら、SMB市場の開拓を行うといった形で、収益を守る一方で、新製品や新規市場の開拓に取り組んでいく戦略を説明した。
渡辺社長は自らエンジニアとしてThinkpadの初期の開発に携わっていたことから、「当時はノートパソコンのまさに黎明期でエンジニアから見ると非常にエキサイティングな時期でした。もともとはデスクトップに入っていた機能を小さなノートパソコンに入れるため、ひとつひとつがチャレンジになるので、大きな問題もたくさん出てきました。除夜の鐘を聞きながら実験室でテストをしているエンジニアもいました。わたしですけれども(笑)」と、不眠不休で開発に取り組んだ当時を振り返った。
ThinkPadのコンセプトとして、堅牢性へのこだわり、使いやすいキーボードとトラックパッドへのこだわり、イノベーションへのあくなき挑戦の3つを挙げ、「ThinkPadは進化し続けます。20年後にはわたしはもう引退していると思いますが、その時も必ずThinkPadを使い続けていると思います」とThinkPadへの熱烈な思い入れを語って挨拶を締めくくった。
世界市場でのレノボの成長 | 日本市場でも順調に成長し続けている | 2012年度守りと攻めの戦略 |
渡辺社長と同様、日本IBM時代からエンジニアとしてThinkPadの開発に取り組んできた取締役副社長の内藤在正氏は、ThinkPad20年間のあゆみを駆け足で紹介した。
また、2011年1月の大和研究所の移転についても触れ、横浜に移転する際、通常は大和研究所のような実験施設はビルに入居するのが難しいが、レストランや温泉に使うつもりで作った2階をビルオーナーの好意で貸りることができたという裏話を披露した。
また、NECパーソナルコンピュータとの関係についての質問には、執行役員常務の横田聡一氏が「具体的に共同開発をしたことはないが、お互いの開発のプロセスや強味を理解するということで、人材のローテーションをすでに始めている。現在は、数名のエンジニアをお互いに派遣して、お互いの強味をどう活かせるかを理解するというフェーズにある。最終的にはもちろん共同開発を考えているが、それを念頭に置いての第一フェーズにあると考えてほしい」と現状を述べた。
1992年10月にリリースしたThinkPad 701CからThinkPadの歴史が始まった | 第1世代から第4世代までのあゆみ | 2005年レノボへ移籍 |
歴代の新技術 | レノボプロダクトグループの開発拠点。NECパーソナルコンピュータの米沢も拠点に加わった | ThinkPad X1 Carbonから第5世代が始まる |