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富士通の田中新社長、「営業とグローバルの経験をもとに現場、現実を徹底したい」

 富士通株式会社は、1月19日、代表取締役社長に田中達也執行役員常務が就任すると発表した。6月22日に開催予定の定時株主総会および臨時取締役会において正式決定する。また、山本正已社長は代表取締役会長に就任する。

 なお、田中執行役員常務は1月19日付で執行役員副社長に就任。4月1日からは、実質的な社長権限を田中副社長に委譲した新執行体制に移行し、6月以降の会長、社長体制を視野に入れた形で経営を進めるという。また、取締役人事、執行役員人事は今後決まり次第発表する。

富士通の田中達也新社長(右)と、代表取締役会長に就任する山本正已社長(左)

中国やシンガポールでのビジネスを経験

田中達也新社長

 田中新社長は、1956年9月11日、福岡県飯塚市出身。東京理科大学理工学部卒。1980年4月に富士通に入社。国内営業部門において大手鉄鋼、石油、化学などを担当し、2000年4月には産業営業本部 産業第二統括営業部 プロセス産業第二営業部長に就任した。「オープンシステムへのシフト、インターネットの浸透などICTの急激な変化のなかで営業を行ってきた。Mシリーズを担いで他社リプレースを行ったり、アウトソーシング提案などのサービスビジネスへのシフトに取り組んできた」と当時を振り返る。

 その後、2003年4月から6年8カ月にわたって、富士通(上海)有限公司に赴任。「急成長する中国市場に対してアプローチしたいという想いがあり、自ら手をあげて、中国に渡った。日系企業ユーザーへのビジネスを担当。国際情勢の大きな変化の最前線にいたことが大きな経験になった」という。

 2009年12月には日本に戻り、産業ビジネス本部長代理(グローバルビジネス担当)を経て、2012年4月に執行役員(兼)産業ビジネス本部長に就任。大手製造業に対するクラウド、ビッグデータを活用したモノづくり革新と新たな成長戦略支援、それを支える営業体制の変革にも取り組んできた。2014年4月には執行役員常務(兼)Asiaリージョン長として、シンガポールに常駐。「重点市場であるアジア市場を担当した」とする。2015年6月から、16代目の富士通社長に就任することになる。

最前線での経験を生かし成長戦略を推し進める

 1月19日に行われた新社長就任会見において、田中新社長は、「入社以来、顧客の現場にいたのが強み。そして、ICTの利活用の広がり、競合他社との競争の場に常に身をおいてきた。富士通は、成長戦略として、イノベーション領域の拡大と、グローバルビジネス強化に取り組んできており、これまでの最前線の現場で培った経験を生かして、成長戦略をさらに推し進めることが私に期待されていることである。今年創立80周年を迎える富士通が、さらに90周年、100周年に向けて一層発展すべく全力で取り組む」とした。

 また田中新社長は、富士通の最大の課題は、「グローバル化」であると指摘。「私が、アジアを担当してわかったのは、グローバルと一言で言ってはいけないということ。それぞれにまったく違う市場が存在する。グローバルカンパニーとしてはそうした視点が大切である。また、富士通製品のグローバル化をしていかなくてはならない。もっとグローバル現場に向けたサービス体制を作っていきたい。アジアの現場はまだ黎明(れいめい)期であり、富士通の技術に対する期待感が高い。そうしたニーズを取り込んでいきたい。また、営業現場では特定の競争相手ではなく、あらゆる業界から競合が現れる。それに向けた目利きを持ち、柔軟に対応していかなくてはならない」と述べた。

 さらに、2016年度に営業利益2500億円を目指す中期経営計画については、山本社長が「会社は継続性が重要であり、昨年5月に発表した中期経営計画は残る。だが、そのやり方は新たな社長のもとで、新たなやり方で推進することになる。さらなる上積みができなければ、富士通の社長には選ばれない。この計画にいかに上乗せするかが新執行体制でのテーマ」と話したことを受けて、「いまは、中期経営計画を基づいた手応えを感じている。これに上積みしてチャレンジしていきたい」(田中新社長)とした。

 社長就任の要請があった時期については、「差し控えたい」としたものの、「予想していなかったことであり、驚いたというのが正直なところ」とし、「チームとしての力を最大限にすることで、富士通の力を発揮できる。そこに取り組んでいきたい。また、顧客起点に立つこと、メンバー同士が率直に話し合いができるような風土にしたい」と述べる。また、「田中カラーというものがあるとすれば、営業経験、グローバル経験をもとにして現場、現実を徹底していくことになる」と語った。

 田中新社長が入社した1980年は、国内コンピュータ市場で富士通がIBMを抜いた年であった。「これからはコンピュータ。大学3年の頃からそう思って富士通に入社した」としたほか、「入社したときは、富士通の社長が小林大祐氏から山本卓眞氏に代わったとき。山本卓眞氏は、技術に長(た)けており、それでいて顧客起点での物事を考える人だった。私自身も、顧客起点で物事を考えることを実践してきた」と、理想の経営者像について述べた。

 中学時代まで陸上部に所属しており、40代でフルマラソンに参加した経験もある。自らを「猪突猛進型」と表し、「マラソンが自分に一番あっているスポーツ。ジョギングは気分転換になる」と語る。那覇マラソンやホノルルマラソンにも参加し、4時間台で走破。ハーフマラソンである川崎市民マラソンは1時間30分台の記録を持つという。

課題とした事業に一定の筋道がついた

山本正已社長

 一方、山本社長は、社長退任の理由について、次のように語る。

 「2010年の社長就任以来、日本から世界に向けて発信する真のICTグローバルカンパニーを目指し、構造改革と成長戦略の遂行に取り組んできた。半導体事業をはじめとする構造改革、グローバルマトリックス体制の構築など、課題とした事業に一定の筋道がついたと判断したことが大きい。また、グローバルカンパニーとしての社業および対外活動を行い、企業価値を高めるためには会長、社長の分担が重要であると考えた。新たな執行体制に切り替えるには、いまのタイミングが最適だと判断した。これを指名委員会に申し出て、後任社長に関する議論を重ねてきた。富士通のICTが、企業活動や社会生活の隅々にまで広がり、富士通の前には大きなチャンスが広がっている。このチャンスを的確にとらえ、よりイノベーティブな企業となり、顧客、取引先、株主の期待に応えられるように新たな執行体制で取り組む。富士通は、今年80周年を迎える。新たな執行体制で再スタートしたい」。

 さらに、「社長としてはやり残したことは多々ある。それは個人でやり残したというよりも、会社としてやり残したということであり、それを新たな体制でやり遂げてもらいたい。それが富士通の伝統である。自己採点については、採点のしようがない。社長の仕事には、100点のつもりで取り組んできたが、点数はほかの人がつけるもの」と、自己採点には明言を避けたものの、「やらなくてはならないことはやり遂げてきたし、仕掛けてきた。刈り取れなかったものは次の世代が刈り取る」と語った。

 また、「2010年に社長に就任したときは、リーマンショック後のダメージが大きく、このままでは富士通の成長は厳しいと考えた。富士通が今後大きく成長するための礎づくりをしなくてはいけないと思ってやってきた5年間であり、そのための基礎づくりをやってきた。成長のためのベースラインはできた。今後は、成長をドライブさせていかなくてはならない。富士通が将来に向けてやっていかなくてはならないことは、富士通自らが大きく変革していくことである」とした。

 田中新社長については、「社長として求められる胆力、判断力の素早さを持っている」と評価。「スピードが求められるなかで、それに対しても意欲的であり、行動力が優れている。富士通の大きなテーマであるグローバル指向に対しても理解がある。国内営業として製造系を担当し、自らの希望のもと、志願して中国ビジネスの拡大に取り組んだ。胆力がなければできないことだ。大きなビジネスを担当し、実績をあげてきた点も評価している」とした。

 また、「社長というひとつの役を演じるには、5年間が区切りを考えた。グローバルカンパニーとなる上で、社長一人で、内と外をやるのは難しい。いまは会長職が空位であり、私は、会長として対外活動をやっていきたい。後継者選びは重要な役割であると考えてきたが、後任として任せられる人材が育ってきた。役割分担のなかでは、CEOやCOOを設けずに、業務責任は社長がすべてを担う。会長は、社長をサポートすることになる。会長と社長は、あうんの呼吸でやっていくことになる」などと語っている。

大河原 克行