特別企画

日本のインターネットを成長させた? ヤマハ初のISDNルーター「RT100i」

当時の“仕掛け人”に発売までの経緯を聞く

 社会的現象ともなったWindows 95の発売直前、インターネットが間もなく普及しようかという1995年3月、ISDNリモートルーター「RT100i」が発売された。古くから楽器で知られた“ヤマハ”ブランドに、新たな項目を加えたパイオニア的存在であり、同社のルーター史の始まりを告げる製品であった。

 RT100iの開発と普及にかかわるキーマンとして、忘れてはならない人物がいる。現在、インテリジェントウィルパワーの代表取締役会長を務める吉村伸氏だ。同氏は、村井純氏らが発足した「WIDEプロジェクト」でも中心的な役割を担い、日本のインターネットの発展に貢献した人物でもある。RT100iの発売当時は、インターネットイニシアティブ(IIJ)の創業メンバーとして技術部長を務めていた。当時を知るヤマハの開発者らによれば、その後のヤマハルーターの方向性とブランディングに大きく寄与したという。

 RT100iが生まれた背景を知る吉村氏に、当時の話をうかがった。

インテリジェントウィルパワー 代表取締役会長の吉村伸氏

ISDNを普通に使えるルーターを作ってよ!

──1995年ごろの日本のインターネット事情について教えてください。

 1995年と言えば、1992年にIIJを創業して間もないころでした。1988年に設立されたWIDEプロジェクトに参加し、日本のバックボーンネットワークをより良くしようと頑張っていたころでもあります。

 当時の企業ネットワークと言えば、キャリアから非常に高額な専用線接続を調達して利用していました。経費の8~9割が、回線に費やされていたころです。おそらく想像を絶するストレスだったと思います。WIDEプロジェクトでも、年間数億円レベルの通信費がかかっていたと思われます。私たちは、こうした“バカみたいに”高額な通信料金を改善したいと考えていました。

 そのころのトレンドとしては、ISDNサービスが普及期に入っていたことが挙げられます。回線速度は64kbps、MP接続して128kbpsが達成できていたでしょうか。アナログモデムの伝送速度は19.2kbps程度でしたから、当時としては非常に高速な回線を専用線よりは安価に得られるとあって、人気が高まっていました。WIDEプロジェクトでも、ISDNへIPを乗せる方法などについて、さまざまな研究・検証を行っていたと記憶しています。

 しかし問題は、ルーターやISDN-TA(ターミナルアダプタ)の価格でした。1台100万円以上もする機器で、サイズも大きく、インターフェイスカードなどの周辺機器もそろえる必要がありました。ISDNというすばらしい回線サービスがあるのに、体力のある大企業しか導入できないのです。これでは普及しようがありません、中小企業はおろか、個人で導入することなど到底できないと考えられていました。

──ヤマハから意見を求められたとき、“普通のルーター”が欲しいとおっしゃったそうですね。

 もともと私が在籍していた東京大学での研究時代、校内のネットワークは常時接続環境が構築されていました。おそらく128kbps程度だったと思います。私たちにとって、それが普通だったのです。将来的には、間欠泉のようなモデム接続ではなく、こうした汎用的なネットワークが必要となると感じていました。

 WIDEプロジェクトで行っていたISDNの検証では、リンクアップが1秒以内で、ほぼ常時接続のように、つまり、あたかも専用線のように使えることもわかっていました。

 そのときやって来たのが、ヤマハの田中和郎氏と高山明氏です。彼らは、同じような考えで商品を作りたいと考えていました。しかも、自社でISDNのチップを開発しているほどのメーカーです。私にとっては、“カモがネギしょってやって来た”と思えるほどでした。

 しかし田中氏らは、ISDNモデムのような“ルーターもどきのもの”を作りたがっていたようでした。しかし、せっかくの64kbps/128kbpsという高速な回線を、モデムの形式ではフル活用できません。ISDN上に“ちゃんとした”IPネットワークを作れるネットワーク機器が欲しかったのです。

 だから私は、「普通のルーター」を作ってほしいとお願いしたのです。

 実際、発売はRT100iとほぼ同時期だったと思いますが、シスコシステムズやアセンド・コミュニケーションズなどの海外ベンダーも、ISDNルーターを発表しました。しかし、ISDNの規格は国ごとに異なるため、これらの製品では実現できない機能があり、日本のISDNにマッチした製品とは言えませんでした。実際に導入しようとすると、技術的に面倒な作業が必要だったのです。

 お会いして数カ月後くらいでしょうか。田中氏らはプロトタイプを持ってきてくれました。「先日お話したばかりだったのに」と、びっくりしたことを記憶しています。早速2台貸していただけたので、すぐに試したところ、なんの苦もなくつながりました。大変気に入ったもので、RT100iが発売されるまで、ずっとお借りしていました。

こうして誕生した、「普通のルーター」であるRT100i

ヤマハブランドで売らなくちゃダメだ!

──RT100iは初めてのヤマハブランドのルーターですが、その決定には吉村氏の“大きな声”があったと聞いています

 このプロトタイプを受け取ったとき、田中氏らからOEMでの販売を予定していることを聞きました。これに対して私は、強い異を唱(とな)えました。

 確かにヤマハの通信機器はOEM販売が中心で、当時のネットワーク業界においての実績はゼロに等しいものでした。とは言え、例えばシスコシステムズですらそれほど大きな会社ではなく、国内で大きなシェアを獲得しているベンダーがなかったのも事実です。

 RT100iは、非常に完成された、ほぼ完ぺきな製品でした。コンパクトで安価、安定性も高く、これならば多くのユーザーに使ってもらえるだろうと確信していました。楽器とはジャンルは異なりますが、「ヤマハ」の名前は全国に知れわたっています。“得体の知れない”名前のネットワークベンダーにOEMとして提供するよりも、一般のユーザーにとっては、名の知れたヤマハのほうが安心できます。

 「OEMにするなどバカげた考えだ」「ヤマハブランドを大事にしろ」と、私は非常に“熱く”なってしまいました。かなり声を張りあげたように思います。

 そのとき、たまたまIIJを訪れていた住友商事名古屋支社次長(当時)の吉井さんが通りかかって、「なにごとか」とミーティングルームをのぞきました。ヤマハブランドで売り出すと言っても、販売ルートをどうするかという問題が残ります。偶然ではありましたが、これ幸いと田中氏と高山氏を紹介しました。その結果、RT100iはヤマハブランドの下、住友商事を通じて販売されることになったのです。

このルーターすごいから使ってみて!

──RT100iはどのように普及していったのでしょうか

 ヤマハブランドでネットワーク機器を販売するなど初めてのことですから、私も最初は不安がありました。ヤマハがルーターを作っているということを知らない人は、今でも大勢います。秋葉原のショップで販売すると言っても、すでにネットワークベンダーの機器が並んでいましたから、それほど畑違いのことではなく、目立つものではありませんでした。

 私は、こうした製品は口コミのほうがずっと強い影響力を持つと信じていました。価格、サイズ、安定性といった面でまちがいはありませんので、業界の著名人に使ってもらうのがよいと考えたのです。

 そこで、ヤマハにも協力をお願いし、日本のインターネット黎明(れいめい)期を支えていた方々──今では有名な方ばかりです──に使ってもらうことにしました。彼らは大学や研究所などに所属しており、可能であれば自宅まで専用線を敷きたいと考えているような人ばかりでした。ごく一部に、実際に敷いてしまった方もおられましたが、多くの方には高額で手が出ませんでした。

 こうしたエンジニアにとって、(当時としては)高速なISDNを介して簡単にIP接続できるRT100iは、非常に画期的なものでした。20万円程度であれば(編集注:当時の希望小売価格は26万円・税別)、個人でも十分に購入できる金額です。口コミ効果は抜群で、「RT100iはスゴい!」というウワサが広まるまでに、半年はかからなかったように思います。

 当時は企業でのISDN導入が本格化していったころで、RT100iも、発売後大手コンビニの担当SEから相談があって、その後大規模導入され、現在でもヤマハルーターの優良顧客だと聞いています。

こうやって使うと便利だよ!

──ヤマハルーターには多くの熱狂的なファンがいますね

 今でこそRTシリーズは、GUI画面で簡単に設定・操作することができますが、RT100iはCUIのため、ある程度のノウハウ・技術力が必要です。そのため、何らかのサポートを提供したいと思っていました。

 当時、IIJの子会社でさまざまなサービスを検討している最中で、その中にメーリングリストサービスも含まれていました。ヤマハルーターを盛り上げていくためには、こうしたサービスを活用して、情報交換の場を設けるのがよいと考えました。

 IIJのメーリングリストサービスは、「iijnet.or.jp」というドメインで運用されていますが、このドメインを最初に利用したのが、「rt100i-usersメーリングリスト」だったのです。

 RT100iを試してもらった先人たちには、このメーリングリストへ強制的に参加してもらいました。ヤマハの技術者もメンバーとなって、利用方法とか問題解決とか、実にさまざまな情報が活発に交換されました。コミュニティ上で問題を報告すれば、最短5分でソフトウェアが修正されるというようなことすらありました。インターネットでファームウェアを配布するというのは、当時は非常に画期的な試みでしたが、こうしたユーザー中心の製品づくりを考えれば、当然の流れであったようにも思えます。

 また当時、私はアスキーの「UNIX magazine」でネットワーク関連の連載を執筆していました。そこでネットワーク構築について書くときには、RT100iのコンフィグを例として説明しました。おそらく“ユニマガ”の読者の中では、RT100iがデファクトスタンダードになっていたのでしょうね。

日本の通信サービスを最も使えるルーターであり続けてほしい

──今後のヤマハとヤマハルーターには何を期待しますか?

 日本のISDNは特殊でガラパゴス的な面を持っていました。そのため海外製品は、使いにくい部分があったのも事実です。RT100iは、そのような日本の通信サービスに最適化されたルーターでした。一般企業での圧倒的なシェアを見れば、その完成度は一目瞭然(りょうぜん)です。

 このほかにも、“秋葉原のショップで買える”“リモートからセットアップできる”“ファームウェアをインターネットから入手できる”など、ヤマハは今でこそ当たり前のことを当初から実践していました。

 ISDNは、日本のインターネットを底上げしたサービスでしたが、ヤマハルーターがその普及に大きく寄与したことは疑いようがありません。

 インターネットには、いまだにIPv4の枯渇とIPv6の普及という大きな問題が残されています。おそらく、日本固有の問題も浮上してくることでしょう。変則的な利用方法が出てくるかもしれません。

 ヤマハルーターには、旧来のコンセプトどおり、日本の通信サービスを最も“上手”に利用できる製品であり続けてほしいと思っています。そうして、新しいインターネット時代をけん引してほしいと願っています。

廣瀬 治郎