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「Linuxはオープンソースにしたおかげで今も続いている」~Linus Tovalds氏
LinuxCon Japan 2013 2日目 基調講演レポート
(2013/5/31 06:00)
Linuxの開発者が集まる世界的な技術カンファレンス「LinuxCon Japan 2013」が、5月31日まで東京の椿山荘で開催されている。
2日目にあたる5月30日には、Linuxの生みの親であるLinus Tovalds氏の基調講演が行われた。また、同じく基調講演として、オープンなデータセンター技術「Open Compute Project」や、富士通でのLinux開発へのアプローチも語られた。
「さまざまなプランが動いているのがLinux開発」
Linus Tovalds氏(以下Linus)の基調講演は、IntelのDirk Hohndel氏との対談形式で、会場からの質問も受け付けながら行われた。
講演のタイトルは「Linux: Where Are We Going」(Linuxはどこに行くのか)。Hohndel氏はまず、このタイトルをふまえ「今どこにいるのか」を質問した。Linus氏は「今は8~10週間ごとに安定してリリースしている。数年前はそこがうまくいっていなかった」と回答。ただし、マージウィンドウ(変更の受付期間)に間にあわせようとテスト不足のコード送ってくる人たちには不満を持っていて、厳しい対応に出ることもあると語った。
また、最近世の中で多様性が重視されている中で、Linuxカーネルサミットに集まっているのは白人男性に偏りがちではないかという話題をHohndel氏が振ると、Linus氏は「Linuxカーネルサミットは顕著なケースではあるけど、よくなってきてはいるとは思う」と説明。Linuxカーネルの開発コミュニティ全体では、今回のLinuxCon Japanのように日本からも多数が参加していることを指摘し、「ただ、Linuxカーネルサミットではそれほど多くない。英語の壁があるのかもしれない」と語った。
一方、Hohndel氏は、女性のLinuxカーネル開発者であるSarah Sharp氏が、女性のカーネル開発者を増やすために開いているワークショップの例を紹介した。
会場からは、ヨーロッパと米国の教育の違いと開発者への影響に関する質問もなされた。それに対してLinus氏は、「フィンランドでは学校教育が無料なおかげで、私は8年半も大学に行って、その中でLinuxを作った。お金の問題というより、リスクを心配せずにやれた。米国だったら、学費がかかりすぎて、Linuxはできなかった」とユーモアをまじえて答えた。「Linuxを始めた理由は」という質問に対しては、「若かった。ばかだった。どれだけ大変か知らなかった」と笑いながら答え、「オープンソースにしたおかげで人々が集まって、今も続いている」と語った。
不揮発性メモリがメインメモリなどに使われるようになったらOSはどう変わると思うか、という問いもなされた。Linus氏は「不揮発性メモリについてはずっと話が出ているけど、いつも『2~3年先』と言われていて、でも今回は本当なのかな」とちゃかしながらも、「ファイルシステムは35年以上ブロックベースでアクセスしているけど、バイトアドレスでアクセスするようになる。メインメモリが不揮発性メモリになると、長期ストレージやデータベースがRAMのように使える。ただし、一般に、製品が出てから広まって使われるまでには時間がかかると思う」と回答。Hohndel氏は、SSDが普及してOSの書き込み処理が1/10程に変わったことを例に、不揮発性メモリもストレージ処理を大きく変えるのではないかと語った。
ひととおり会場の質問を受け付け、残り1分強となったところで、Hohndel氏が「さて、Linuxはどこに行くのでしょう」と質問。Linus氏は「Linuxにはプランはないといつも言っているんだけど、開発に参加する人にはそれぞれのプランがある。例えばモバイルだったり、宇宙ステーションだったり、低価格ハードだったり」と答え、「さまざまなプランがそれぞれ動いているのがLinuxで、1つのプランで動くよりずっと面白い」と、対談のテーマに1つの答えを出した。
Open Compute Projectを紹介
Linus Tovalds氏の講演に先立ち、この日最初の基調講演としては、Open Compute FoundationのCOOであるCole Crawford氏が「The Open Source Data Center: The Holy Grail of X Computing and Community Driven Innovation」と題して登壇した。Open Compute Foundationは、Facebookが中心になって始まった、データセンターやサーバーなどの仕様や技術を公開する「Open Compute Project」(OCP)の運営団体だ。
Crawford氏は、カール・セーガンの言葉を引きながら、「人類のイノベーションは、“What if”(もし…だったら)という考えがもたらしてきた」と語った。そして、「Facebookは、もしサーバーに供給する電圧を変えたら、もしファンの位置を変えたら、と新しいデータセンターの仕様を試みた」と解説した。
「例えば、今までのデータセンターではPUEが1.9、つまり1ドル相当の電力を使うのに2ドル近くかかる。そこで、“もし変換ロスをなくすために480Vで配電したら”“もし高い温度でサーバーを動かしたら”と考えて、PUE 1.07を実現した」。
また、集団で狩りをする原始人や、冷戦を終えて各国が協力して進める国際宇宙ステーション(ISS)などを例に挙げながら、コラボレーションが大きな成果を上げると語り、Facebookの試みを元に、オープンソースと同じようにオープンにしたのがOCPだと説明した。「今回、日本の企業の人ともオープンにアイデアを交換し、冷却の新しいアイデアなども出た」。
OCPの第1回サミットは、2011年にFacebook主催で開催。このときは200名の参加だったが、参加者が増加していき、Open Compute Foundationも設立。2013年の第4回サミットでは、1500人以上の参加者と、50以上の参加団体を集めているという。なお、Crawford氏によると、OCPの参加企業はLinux Foundationとも重なりが大きいという。
最後にCrawford氏は、データセンター自身やラック、サーバー、ストレージ、ネットワーク、データといったデータセンターの要素を並べ、今までのデータセンターではサーバーとストレージの一部だけがオープンだったと図示した。そして、それが1つずつオープンになっていく様子を見せ、「最後にネットワークのハードとOSが残っているが、オープンなスイッチを開発するプロジェクトも始まった」と紹介した。
エンタープライズ系IT企業でのLinux開発のマネジメントに求められること
2つ目の基調講演では、富士通のLinux開発統括部 プロジェクト部長のYoshiya Eto(江藤圭也)氏が「Open Source Development in Real Business」の題で、エンタープライズ系IT企業でのLinux開発について、従来の開発と異なるマネジメントについて語った。Eto氏は、Linux Foundationのボードメンバーでもある。
富士通では、1990年代にLinuxのドライバを出したりしていたが、2000年代初頭にエンタープライズにフォーカスしてLinuxに本格的に取り組み、現在では世界で16位のコントリビューターになっているという。富士通をはじめとするエンタープライズ系企業のLinuxへの取り組みにより「今では世界中で、証券取引所など重要な基幹システムとしてLinuxが走っている」とEto氏は語る。
富士通がLinux開発コミュニティに参加するうえで大切にしたこととして、Eto氏は「知的所有件やライセンスをきちんと理解すること」と「オープンソースならではのマネジメント」、そして「エグゼクティブがオープンソースを理解すること」を挙げた。
Eto氏はLinuxカーネル開発の生産性として「50」という数字を掲げた。これは、従来のプロプライエタリな開発のマネジメントの考え方からすると、Linuxは生産性が低く見えるということだ。その1つの理由として、プロプライエタリな開発ではスパゲティな状態のコードでも進めてしまうが、Linuxではパッチに対してレビューがあり、きれいにしていく必要がある点を指摘した。
また、1つのターゲットが決まった開発と違い、Linuxは巨大なサーバーから小さなハードまでをカバーするため、要求の違いから変更に対して賛成と反対ができやすい面を指摘しつつ、「ゴールは違うかもしれないが、同じ方向に向かおうとしている」と主張。サーバーのためのメモリーホットプラグの追加にあたってフットプリントを小さくして組み込み開発者から認められた例と、サーバーベンダーが始めたcgroup機能の開発に後にスマートフォン開発者も参加した例を紹介した。そして、「開発スピードは遅くなるかもしないが、ほかの分野の開発とイノベートできる」ことをメリットとして語った。
このように、1社で閉じておらずコミュニティの一部であるオープンソース開発には、従来の進ちょく指標はうまく当てはまらず、新しい指標が必要だとEto氏は指摘。実際に使われている指標として、受け入れられたパッチの数を受け入れられるべきパッチの数で割った数という指標を紹介した。