【RubyWorld Conference 2010】まつもとゆきひろ氏基調講演レポート


まつもとゆきひろ氏

 9月6日から7日まで、島根県松江市の島根県立産業交流会館(くにびきメッセ)にて、プログラミング言語「Ruby」に関するカンファレンス「RubyWorld Conference 2010」が開催されている。

 RubyWorld Conferenceは、今回で2回目の開催だが前回の会場も松江市。松江市は、Rubyの産みの親であるまつもとゆきひろ氏が籍を置く株式会社ネットワーク応用通信研究所がある都市。松江市はこのような縁があり、Rubyを中心とするオープンソースソフトウェアで町おこしをする「Ruby City MATSUE」も進めている。

 今回のRubyWorld Conferenceのテーマは、「Rubyのエコシステム(生態系)」。Rubyには、開発者、Rubyでシステムを開発する技術者、それらのサービスを利用するエンドユーザ、コミュニティなど多くの人々が関わっている。これらの人々の思惑、技術的な利点や欠点などが一望することを目的としている。

 6日のまつもとゆきひろ氏の基調講演「持続可能なRuby」では、Rubyがここまで続いたこと、さらに今後発展するために必要なのは「情熱」だと語った。

Rubyの利用者は2013年には400万人との予測

 Rubyは1993年にまつもと氏が開発。当時は、「Rubyを使っていたのは自分1人」(まつもと氏)という状態だ。そののち、友人なども開発に加わり利用者は数人程度に増えた。大きな転換期は、1995年にインターネットに公開したことだ。Rubyに関するディスカッションを行うメーリングリストを作ったところ、「数日で200名程度が参加した」というほどに増えた。

 1999年には、Rubyの解説書が出版された。「2万部を切るくらいが出版された」としていることから、利用者は2万人にまで増えたことになる。知名度は「ちょっと物知りの技術系の人なら知っている」ではないかという。

 2004年にはRubyを用いたWebアプリケーションのフレームワーク「Ruby on Rails」がリリースされた。この時点で開発者はおおよそ10万人にまで膨れあがったと推測される。

 ガートナーの調査によると、2008年時点でのRuby開発者は100万人に達している。予測では2013年には400万人という数字も出ており、まつもと氏自信も「驚きの数字」だとしている。

予測では2013年には、Rubyの開発者は400万人に達するという

 このように開発者を増やしていったRubyだが、必ずしも爆発的に伸び続けているわけではない。オランダのTIOBE Softwareが発表した「TIOBE Programming Community Index」という調査の結果を見ると分かる。TIOBE Programming Community Indexは、それぞれのプログラミング言語がWeb上でどれぐらい言及されているかという調査。これによると、2008年の時点でRubyは9位だが、2009年は10位、2010年は12位と徐々に順番が落ちている。

 まつもと氏は、このような状況を「Rubyバブルは終焉した。バブルは持続できないから終わった方がよい」と見ている。「Rubyが一発屋のように消えていくことは、望むことではない。FORTRANは誕生から50年も経っても使われており、プログラミング言語の寿命は長い。Rubyも持続可能なプログラミング言語を目指す」との方向性を示した。

TIOBE Programming Community Index。Rubyは年々順位を落としているTIOBE Programming Community Indexで順位を落としたことなどを総合すると、「Rubyバブルの終焉」としている

「持続可能なRuby」に必要なこと

 まつもと氏は、持続可能なRubyに必要なこととして3つを挙げた。1つは「利益」だ。「生産性の向上という利益は、Rubyにおけるキーワードの1つ」と自信を見せた。

 2004年にRuby on Railsが登場したときに、アメリカのある有名なブロガーの「Ruby on Railを使って新しいWebサイトを作った場合、生産性はJavaの10倍に向上する」というエントリーが注目された。

 また、ブラジルのソフトウェアカンファレンスにて、デザインもデータベースも用意していない状態から、15分でブログサイトを作ったというデモが披露された。さらに一時期、Ruby on Railsを使ってどれだけ早くWebアプリケーションが作れるかという競争がはやり、「2分でWebアプリケーションを作った人もいる」というほどだ。

 これら生産性向上の例は、RubyよりもRuby on Railsに寄るところが大きいが、「Rubyそのものが持っている生産性と柔軟性をRuby on Railsが最大化に引き出してくれた」と評価した。

 2つめは「可能性」だ。「新しい技術がどんどん誕生して、今後も発展することが期待できることは重要」だとする。まつもと氏は、「新しい技術の登場には優れた技術者が必要。さらに新しい技術の周辺には優れた技術者が集まる。Rubyがまさにその状態になっている」と自信を見せた。

 まつもと氏が持続可能なRubyに一番必要なこととして「最も重要」としてあげたのが「情熱」だ。情熱の1つとして挙げたのが、「Rubyを愛してくれている人たち」が世界中で開催されているRubyに関するカンファレンスだ。

 世界で初めてのRuby専門のカンファレンスは、2001年にアメリカで開催された「Ruby Conf」で、当時の参加者は30人だったが、現在は500人にまで増えている。「会場が許せばもっと入るが、入場制限するくらいの人気。アマチュアが開催するイベントなので、これが限界だろう」というほどだ。

 また、日本ではこのRubyWorld Conferenceのほかに、700名から800名程度が参加した「RubyKaigi」も開催。ヨーロッパでは200名から300名が参加する「Euruko」もある。そのほかに、地域Rubyカンファレンスとして、中国やインド、アメリカの各州で小規模なカンファレンスが行われているという。

 投資家や経営者も、Rubyに対する情熱を持っている人がたくさんいる。「シリコンバレーのRubyは熱い。アメリカのWeb系のベンチャー企業は、60%がRuby採用しているという調査結果もある」というほどだ。まつもと氏は「ベンチャーキャピタルが、投資先にRubyでシステムを作りなさい、と指定することがある」という話を聞いたことがあると話した、これも理由の1つではないかとしている。

Rubyを支援する人々

 まつもと氏は、このようにRubyに対して情熱を持っている人々を紹介するとともに、感謝の意を表明した。

 まずは、まつもと氏が1997年から勤務しているネットワーク応用通信研究所の代表取締役である井上浩氏。「1997年当時は、ビジネスで成功するか分からなかったのに、Rubyの技術者として雇ってくれた。松江に住んでいることもこの人のおかげで、Rubyに多大なる支援をしてくれた」と感謝を述べた。

 また、「Ruby City MATSUEプロジェクト」を決断した松江市の市長である松浦正敬氏の名前も挙げている。「世界中を見回してもオープンソースソフトウェアを使って地域振興をしたいと聞いたことがない。地方自治体がオープンソースソフトウェアを振興するという決断は大変うれしかった。」

 福岡県の知事である麻生渡氏の名前も挙げた。福岡県は、Rubyを使った雇用支援やアワードなどで支援をしており、まつもと氏は「最近、福岡に行くことが多い」というほど活発だ。

 おもしろいところでは、製麺会社もある。松江市内の中隆は、「Rubyを応援したいから商品にRubyマークを付けて、売上げの一部を寄付したい」と申し出て、実際に「Ruby on 松江ラーメン」として商品化した。

中隆の「Ruby on 松江ラーメン」。箱全体がRubyのイメージカラーである赤になっているほかに、上にはRubyのロゴが入っている

 最後にまつもと氏は、「Rubyは多くの人たちの情熱で支えられている」と改めて強調し、基調講演を終了した。

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(安達 崇徳)
2010/9/7 06:00