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“Run Simple”こそがエンタープライズを変えていく――「SAPPHIRE NOW 2015」マクダーモットCEO 基調講演

 独SAPが米フロリダ州オーランドで開催する同社の年次イベント「SAPPHIRE NOW」は、ここ数年、ずっとHANA一色だった。その雰囲気が昨年あたりから、つまりビル・マクダーモット(Bill McDermott)氏が単独CEOに就任し、HANA開発の中心人物だった前CTOのビシャル・シッカ(Vishal Sikka)氏が同社を離れてから、少しずつ変わりつつある。

 もちろんHANAは、今後もSAPの全ポートフォリオを支える基盤でありつづけることは間違いない。だが、現在のSAPはHANAに代表される同社のテクノロジよりも、むしろコンシューマに近い“B2B2C”へのアプローチを強く押し出しており、あたかも「SAPはテクノロジカンパニーではない」と訴求しているかのように見える。

 5月5~7日の3日間にわたり、例年通りオーランドで開催された「SAPPHIRE NOW 2015」で掲げられたテーマは“Run Simple”だった。シンプルというフレーズもここ1、2年のSAPのメッセージによく登場するが、今回、あらためてこの言葉を前面にもってきたところに、SAPの新たな方向性が示されたといえる。

 本稿では、初日の5日に行われたマクダーモットCEOの基調講演の内容から、同社の“Run Simple”戦略の内容を見ていきたい。

SAPPHIRE NOW 2015のテーマは「Run Simple」、SAP自身のビジネスもシンプルであることを目指す

複雑さはビジネスの敵、エンタープライズにはもっと”シンプル”が必要

 「今日、われわれは“シンプル”へのロードマップをお届けする」――。基調講演に登壇したマクダーモットCEOは開口一番、2万人の聴衆に向かってこう明言した。つづけて「SaaSがクラウドというのはもう忘れてほしい。われわれにとってのSaaSとはいまや”Simple as a Service”だ。SAPは複雑さ(complexity)はビジネスの敵だと信じている」と、SAPがいかにシンプリシティを重要視しているかを強調する。

 この日、マクダーモットCEOは2つの大きな発表を行っている。ひとつはコンシューマライクなオンライン購買システム「SAP Digital」、もうひとつはGoogleおよびFacebookとのパートナーシップ強化だ。そしてこれらが“Run Simple”を実現する最初のアプローチ、マクダーモットCEOが言うところの“新しいロードマップ”の序章に記されることになる。

マクダーモットCEO

SAP Digital:購買が変わることがRun Simpleの最初の一歩

 SAP Digitalはeコマースと同じユーザーエクスペリエンスをエンタープライズにも提供するためのサービスだ。購買における伝票やインボイス、RFPなどを必要とせず、どのデバイスからでも商品をワンクリックで決済できる。

 マクダーモットCEOは、SAP Digitalを「最初から最後まですべてオンラインで完結する、デジタルネイティブな購買システム」と表現している。このシステムはSAPのSaaSオファリングである「SAP hybris Commerce Suite」上で構築されており、クレジットカードだけでなくPayPalでの決済を実装することも可能だ。SAPはこのSAP Digitalを実装したSAP自身のオンラインストア「SAP Store(https://www.sapstore.com/)」も同時にローンチしており、“Run Simple”を自ら体現する姿勢を見せている。

 なおSAPは同日、同社のアナリティクス製品である「SAP Lumira」のアップデートを発表している。Lumiraは旧Business ObjectsのBIテクノロジを継承した、TableauやQlikTechと競合するプロダクトだが、SAP Storeを利用すればこのアップデートも簡単に行えると説明している。

報道陣向けのカンファレンスで行われた「SAP Digital」を実装した「SAP Store」によるワンクリック決済のデモ。SAP Luiraのアップデートを数十秒で終了

 そのほか中小企業向けのデジタリーネイティブなオファリングとして、29ドル/月で利用できる「SAP Digital for Customer Engagement」、9ドル/月から利用可能なタレントマネジメントシステム「SuucessFactors Platform&Reward」、教育用に特化した「SAP Learning Hub」なども新たに提供される。いずれもSAP Storeから購入できる点が特徴だ。

 SAP Digitalの狙いは、複雑な作業や承認と必要以上の時間を要する購買のプロセスを大幅に短縮し、透明性を与え、コスト削減に導くことだ。そしてそれは“Run Simple”への第一歩でもある。

 マクダーモットCEOは「デジタリーネイティブな世界では、顧客のエクスペリエンスもデジタイズされる。すべてがデジタルなプラットフォームに集約されるとき、鍵になるのはシームレス、そして透明性だ。SAP自身も数年前、ビジネスがうまく行かなくて苦しんでいた。顧客のことがわからずに迷走していた。その大きな要因はあまりにもビジネスが複雑になってしまったことだった」と報道陣向け説明会で語っており、あらゆるビジネスシーンで複雑さを排することの重要性をあらためて強調する。

GoogleとSAPのパートナーシップ強化は「世界をより便利にしていく」

 Googleとの提携強化はGoogle Appsとの連携が中心の内容となっている。基調講演ではGoogleのエリック・シュミット(Eric Shmidt)会長から「この新しいパートナーシップを発表できることをうれしく思う。まさに“great day”だ」とビデオメッセージが寄せられている。

 具体的な提携内容は以下となる

・エンタープライズモビリティの強化――「SAP Mobile Security 2.7」による「Android for Work」のサポート
・ビジネスアナリティクス――LumiraとGoogle Sheetsの連携
・ビジネスアプリケーション――Google Appsから「SuccessFactors HCM」「SAP Fiori」のワークフローが利用可能に

 特に注目すべきはスプレッドシートのGoogle Sheetsで読み込んだデータを、Lumiraで可視化および分析可能になった点だろう。この両製品の連携機能は、今後さらに強化されることになっており、近いうちにLummiraによる分析結果をインフォグラフィック形式でGoogle Driveでシェアすることも可能になるという。

 「GoogleのツールとSAPのツールがあらゆるデバイスで一緒に使えるようになれば、世界はもっと便利になるだろう。数億人規模のユーザーがいるGoogle AppsはSAPにとって非常に魅力的なパートナー」とマクダーモットCEOは語っており、コンシューマの世界で膨大な経験を積み重ねてきたGoogleとのパートナーシップ強化は、“Run Simple”を実現するための欠かせない要素だといえる。

 一方、Facebookとの提携に関してはGoogleほどに詳細は明らかになっていない。基調講演ではFacebookのバイスプレジデントであるデビッド・フィッシャー(David Fischer)氏から、「SAPとFacebookは同じゴールを目指していく」という内容のビデオメッセージが寄せられたが、HANAにおけるデータビジネスの提携を強化していくこと以外は、現状では不明だ。

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 マクダーモットCEOは、今回の基調講演においてネクタイを外して登壇している。開発者が中心でカジュアルな雰囲気が強い西海岸のカンファレンスと異なり、SAPPHIRE NOWは全体的にフォーマルな印象だ。だがSAPがめざす“Run Simple”はコンシューマとの統合なくしては実現し得ないものでもある。顧客がコンシューマで体験しているのと同じエクスペリエンスをエンタープライズでも提供することが“Run Simple”では重要なコンセプトになってくるからだ。ネクタイを外して基調講演に挑んだことは、マクダーモットCEOなりの“Run Simple”への意気込みだったとも受け取れる。

 詳細が明かされなかったFacebookとの提携をあえてマクダーモットCEO自らが発表したことも、SAPの強いコンシューマ指向を表しているといえる。GoogleやFacebookのように、使いやすく、シームレスなエクスペリエンスを提供する企業になること――。SAPのある幹部は「“Run Simple”は口で言うほど簡単なことではない。SAPにとっても新たなチャレンジだ。しかしわれわれはそれをやらなければ生き残れない」とコメントしていた。数年前、HANAによって全ポートフォリオの戦略を変更したときよりもおそらく大きなチャレンジにSAPは向かおうとしている。

五味 明子