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【SAPPHIRE NOW 2013】コンシューマ市場に本格参入を表明したSAPの新たな戦略~初日基調講演

 「SAPはいまや、B2B2Cソフトウェア市場のリーダー企業だ」――。

 5月14日(米国時間)、米国オーランドで開催された独SAPの年次カンファレンス「SAPPHIRE NOW 2013」のオープニングキーノートにおいて、共同CEOのビル・マクダーモット(Bill McDermot)氏は、2万人近い参加者に向かってこう訴えた。

 2010年にインメモリデータベース「SAP HANA」の最初のリリースを行って以来、SAPはHANAの進化とともに同社自身もまたダイナミックに変化し続けてきたが、おそらく“コンシューマ”という言葉を前面に出してターゲットに言及したのは今回が初めてだろう。

 古くからのSAP ERPユーザーであれば想像することすら困難なSAP×コンシューマという組み合わせを、同社はどのようにビジネスとして展開していこうとしているのか。初日キーノートの内容から、SAPが目指す新たな方向性を分析してみたい。

Slow kills companies fast~ユーザーエクスペリエンスを支えるのはスピード

SAP 共同CEOのビル・マクダーモット氏

 コンシューマ市場に参入といっても、SAPが直接、一般消費者向けのソフトウェアやサービスを開発するわけではもちろんない。マクダーモットCEOの言葉にあるように、SAPが狙うのはB2B2C市場、つまりコンシューマビジネスを展開する企業に対して、ユーザーエクスペリエンスの大幅な向上が見込めるプラットフォームを提供するということを指している。いわばSAPユーザー企業を介してSAPと一般消費者の間にある距離を縮め、より広い層にSAPの価値を訴求していく方針だと思われる。

 もっとも、SAPがこれまでB2B2C市場にかかわってこなかったわけではない。例えばAppleのiTunesのバックエンドがSAPであるのは比較的よく知られた話であり、SAP ERPに代表されるSAPソリューションを使い続けているコンシューマ企業は少なくない。

 では今回の“コンシューマ市場参入宣言”は過去のB2B2Cビジネスと何が異なるのだろうか。マクダーモットCEOは「圧倒的なスピードに対するニーズ、それによって喚起されるユーザーエクスペリエンス向上のニーズ」が、かつてないほど高まっている現状を指摘する。

 現在では、企業がコンシューマに対して価値のあるエクスペリエンス――、つまりモバイルで動き、なめらかなUIを備え、欲しい情報がリアルタイムで手元に届く環境――、をユーザーに提供できなければ、市場からすぐにでも淘汰(とうた)されてしまいかねない。

 「Slow kills companies fast. Really fast. 遅いということは罪であり、本当にあっというまに企業を殺してしまう」とマクダーモットCEOは強調するが、特にモバイルとソーシャルが当たり前の時代に育った若い世代のユーザーは、遅いアプリケーションや遅いシステムをまったく我慢しない。

 デジタルネイティブといわれる彼らをメインターゲットとするコンシューマ企業にとって、ユーザーエクスペリエンスの向上こそがトッププライオリティだといえる。

 SAPは、高速性を最大の武器とするインメモリプラットフォームのHANAを同社のビジネスの中心に据えて以来、圧倒的なスピードがビジネスを変え、世の中を変えると主張し続けてきた。

 昨年のSAPPHIRE NOWのゲストにはマクラーレンのロン・デニス会長が登場し、すべてのレースの分析にHANAを活用して勝利に結びつけているという事例が紹介されたが、デニス会長が高く評価していたのも、やはりHANAの分析スピードだった。

 そのスピードがいま、ユーザーエクスペリエンス向上を望む多くのコンシューマ企業に求められている。SAPがこの流れに乗じてコンシューマ市場への積極的な参入を表明し、デジタルネイティブ世代を含む35歳以下のユーザー層への訴求力を高めようとするはむしろ当然と言えるだろう。

 そしてその第1弾として発表したのがHANAを基盤としたスポーツビジネスへのフォーカスだ。

HANAの分析スピードがスポーツを変える

パネルトーク登壇者。左からジェームズ・ブラウン氏、マクダーモットCEO、アダム・シルバー氏、ジェド・ヨーク氏、ケビン・プランク氏

 キーノート開始の数分後、米国のスポーツビジネスにおけるインフルエンサー4名が登壇し、マクダーモットCEOとともにスポーツビジネスにおけるITの役割についてのパネルトークが行われた。参加者は以下のとおり。

・ジェームズ・ブラウン(James Brown)氏 CBSスポーツキャスター
・ジェド・ヨーク(Jed York)氏 アメリカンフットボールチームのサンフランシスコ・フォーティナイナーズ(SF 49ers)のCEO
・アダム・シルバー(Adam Silver)氏 全米プロバスケット協会(NBA)の次期コミッショナー、前COO
・ケビン・プランク(Kevin Plank)氏 スポーツ用アンダーウェアブランド「アンダーアーマー(Under Armour)」のファウンダー兼CEO

 いずれの組織もHANAをデータ分析に活用しており、それぞれのビジネスで高い効果を挙げているとしている。

 「われわれのファンのうち、実際にアリーナに足を運んで試合を見ている層は数%にすぎない。大部分のファンはTVのほか、タブレットやスマートフォンでゲームを見ている」というシルバー氏の言葉にあるように、現在のスポーツビジネスでは、ゲームを“コンテンツ”として消費するユーザー、それももっぱらモバイルで視聴するユーザーのエクスペリエンスを重要視する傾向にある。

 「アリーナで味わえるエクスペリエンスを、ソーシャルメディアを通して複製するかのようにモバイルユーザーに届けるトライを続けているところだ。そしてソーシャルメディアにおけるユーザーの動向をリアルタイムに把握するHANAのパワーが分析に欠かせない」(シルバー氏)。

「アナリティクスの専門家を雇用してNBAファンの動向を分析し、エクスペリエンスの向上を」図っているている」と語るシルバー氏

 その一方で、「スポーツビジネスをけん引するのは実際にスタジアムに足を運ぶ観客。彼らのエクスペリエンス向上は最重要」と語るのは、49ersを率いるヨーク氏だ。49ersは1年間のシーズンチケットを購入するチケットホルダーが6万8000人存在するが「6万8000人の観客がいれば、6万8000のエクスペリエンスがある。ひとりひとりのストーリーを最高のものにするため、あらゆるデータをHANAでもって多角的に分析してきた」(ヨーク氏)という。

 現在、49ersはサンタクララに新しい本拠地となるスタジアムを建設中だが、ヨーク氏によればそのスタジアムは「ハードウェアドリブンではなくソフトウェアドリブンなスタジアム」になる予定だという。

 例えばモバイルデバイスを通して、観客が席にいながらにして飲み物や食べ物をオーダーできたり、スタジアムに備え付けられた4000台のカメラが撮影した画像を閲覧したり、さらにこうしたあらゆるエクスペリエンスを観客がチケットレス/キャッシュレスで試合を楽しめるようにしたいとしてる。

 また、49ersは選手のスカウトにもHANAをベースにした分析アプリケーションを活用している。「われわれが探しているのはベストプレーヤーではない。49ersにとってのベストプレーヤーを探しているのだ」とヨーク氏。それはすなわち、スタジアムに足を運ぶ観客からTVやモバイルでゲームを楽しむファンまでを、広く満足させる選手でなくてはならない。

 あらゆるデータをHANA上で分析し、チームとファンに貢献する選手を探し出しているとヨーク氏は言う。「分析はすればするほど、正しい決定に近づくことができる。われわれは125人しかいない小さな会社だが、HANAによって大企業と同等のデータアグリゲーションが可能になっている」という同氏の言葉にあるように、米国のスポーツビジネスにおいてはデータ分析なしの勝利はありえない“マネーボール時代”に突入したといえる。

「スタジアムに来るファンとオンラインで視聴するファン、どちらにもエンゲージすることが49ersには必要」と語るヨーク氏
HANAをベースにした49ersのタレントスカウトアプリケーション。「49ersにとってのベストプレーヤー」をこのアプリケーションで探し出す

 自らのフットボール選手としての経験を生かし、快適なスポーツウェアの開発/販売で大きく成功したアンダーアーマーのプランク氏は、2006年にSAPにシステムを変更したころから急激に売り上げを伸ばしたと語る。現在はバックオフィスから新製品の開発まで、あらゆるデータをHANA上で分析/加工しているという。

 「HANAの魅力は圧倒的なスピード。以前はバッチ処理で9時間以上かかっていた作業が、HANAの採用で3分に短縮された」とプランク氏。アンダーアーマーの新製品「Armour39」は、アスリートの心拍数や体温などのデータを記録できるフィットネスモニタリングデバイスだが、データ分析の重要性を熟知し、“テクノロジドリブン”を標ぼうする同社ならではの製品だといえる。「HANAの登場で、ようやくExcelスプレッドシートの時代が終わったと実感している」(プランク氏)。

「HANAの登場でExcelの役割は終わった」と冗談混じりにコメントするプランク氏

 「49ersはテクノロジカンパニーではないが、イノベーションカンパニーである。そしてイノベーションを起こすためにはビジネスのあらゆる側面でデータ分析が必要であり、そのためにはHANAが欠かせない」というヨーク氏の言葉に、米国のスポーツビジネスにおけるデータ分析のニーズの広がりと、HANAに対する高い信頼がうかがえる。

 SAPがエンタープライズに特化したERPベンダーだった時代は、HANAの登場によりもはや遠い過去のものとなりつつある。スポーツビジネスの世界を皮切りに、SAPをコンシューマビジネスへとドライブさせるエンジンとして、HANAはそのスピードをますます加速させようとしている。

(五味 明子)