事例紹介
瓦礫の下の医療、ITの役割は?~災害派遣医療チーム・DMATの訓練を見てきた
阪神淡路大震災 20周年 特別企画
(2015/1/17 05:46)
戦略全般を担うDMAT調整本部
発災から30分後。群馬県庁には、DMAT調整本部が立ち上げられた。
DMAT調整本部は、災害規模に応じて厚生労働省にDMAT派遣を要請するほか、各本部の立ち上げ指示、被害状況や活動状況の把握、患者搬送の調整、ロジスティクス支援をはじめとする戦略全般を担う。
地域の医療で対応しきれない場合は、災害地域外への広域医療搬送も計画。救急車、DMATカー(災害地医療支援車)、ドクターヘリなどの利用可能な搬送手段を検討して、どの患者から広域医療搬送を行うべきかの判断も行う。
そのため、DMAT調整本部では、各病院の状況や患者情報を正確に把握する必要がある。インターネットや衛星電話などの通信手段に加え、情報共有の中核となるのが、広域災害救急医療情報システム「EMIS(Emergency Medical Information System)」だ。
EMISでは、災害発生時に各医療機関が情報を入力し、「どこが正常に機能しているか」などを関係者間で共有する。医療機関の状況については、建物の倒壊状況、ライフライン・サプライ状況、患者受診状況、職員状況などを「有・無」「不足・充足」といった二択方式で迅速に入力できる。
元々は都道府県ごとに整備されていた救急医療情報システムを統合したもので、災害医療情報を加えたほか、DMATの活動状況(出動・移動・活動・撤収)を管理する「DMAT管理機能」(2007年実装)、搬送する患者情報や航空機情報を管理する「搬送管理機能」(2010年実装)を順次追加し、SaaS型で運用されている。
DMAT調整本部では、EMISを通じて得られる病院・患者情報を基に、各本部の立ち上げやDMAT要請・派遣を指示していく。各病院からは医療資機材不足の対応要請が届き、ロジスティクスを調整しながら、患者搬送も計画する。どの患者をどこからどこへ運ぶか、搬送車両は足りているか。そうした情報が壁に貼られた紙に、事細かに書き込まれていく。
さまざまな事象が分単位で起こる。まさに時間との戦いだ。ある病院でのEMIS情報更新が滞り、「そこがボトルネックになってすべてが止まっているんだから、なんとか電話に出てもらえ!」と緊迫する場面も。
こうした情報共有の習熟も訓練の目的となる。訓練後のレポートではEMIS入力率が70.3%だった。この数値を100%にすることも1つの目標である。
情報が集まるにつれ、傷病者が100名を超えることが判ってきた。県内の病院では明らかにキャパシティオーバー。情報収集と同時に、県外への広域医療搬送がすでに計画されていた。
政府と調整し、広域医療搬送のための拠点(SCU)は群馬県相馬原駐屯地に、受け入れ先は千葉県下総航空基地に決定。SCU設営のためのDMATを相馬原駐屯地に派遣し、速やかな搬送体制を整える。惨憺(さんたん)たる災害の中、朝からの濃霧が消え、ドクターヘリ1機が運用可能になったことが、一筋の光明だった。
広域医療搬送
群馬県北群馬郡榛東村に位置し、第12旅団司令部などが駐屯する陸上自衛隊・相馬原駐屯地。SCUはここに設置され、タンデムローター式の大型輸送用ヘリコプター「CH-47」で、患者を千葉県まで搬送する。
SCU設営もDMATの任務で、航空機搬送前の患者の最終メディカルチェックを行う簡易医療施設となる。SCUにもDMAT本部が設置され、DMAT調整本部とやり取りしながら、搬送患者や航空機の情報を統制していく。
やがて救急車やドクターヘリで患者が運び込まれると、DMATが簡易医療を行い、それぞれの「症状」「人工呼吸器の要・不要」「広域医療搬送の優先度」などがホワイトボードに書き込まれていく。CH-47には医療器具も搭載するため、一度に搬送する患者は最大4名とされた。
そして14時00分、広域医療搬送が開始。最終メディカルチェックを終えた患者が滑走路に鎮座するCH-47へと順次運ばれていく。CH-47、エンジン点火。うなりを上げて回り始める2基のローター。巻き起こる強風に逆らいながら、それでもDMATは確かな足取りで機体へ近づいていく。その先にあるのが“希望”であると信じて――。
千葉県に向かった患者は現地で病院に運ばれ、治療を受けることになる。一通りの搬送が終わると、DMATの任務は完了。帰途につき、通常の病院勤務に戻る。そしてまた災害が起きると現場へ出動するのである。
訓練を終えて「患者を搬送する直前に患者情報資料が本部に提出されるなど、(SCU内の)本部とメディカルチームの情報共有に難あり。もし本当の患者だったら、これではいけない」との総括があった。隣り合うチーム間でさえスムーズにはいかない、極限状況における情報共有の難しさ。こうした訓練も通じて、災害から命は守られているのだ。そう実感できる貴重な体験だった。
最後にDMATのこれまでと今後に触れたい。