「ちゃんと動く」ポストPC時代のサービス Apple「iCloud」の衝撃
Appleがついに自社クラウドサービス「iCloud」を発表した。病気療養のため一線から退いているSteve Jobs氏が自らステージに立ってサービスを紹介し、“ポストPC時代”のビジョンを示した。ユーザーはAppleの狙い通りにiCloudを受け入れるのだろうか、競合他社はどう動くのだろうか――。今秋の正式サービス開始を前に、メディアはiCloudのインパクトを予想している。
■クラウドを完全にバックグラウンド化
6月6日の「Worldwide Developer Conference 2011」で披露されたiCloudは、既存のクラウドサービス「MobileMe」に代わるものとなる。アドレス帳、カレンダー、電子メールをクラウドで保存するMobileMeのサービスに加え、写真や音楽の保存、バックアップなど新しいサービスも用意した。「iPhone」「iPad」などiOS搭載機(バージョン5以上)、Mac(Mac OS X Lion以上)、Windows Vista/7(iTunesが必要)などの端末で利用可能で、5GBまでの容量が無料となる。
ユーザーが意識することなく、自動的に同期してくれるのが最大の特徴だ。事前情報はあったものの、業界にはやはりインパクトのある発表となった。
Jobs氏はiCloudを披露したステージで、「デジタルライフのハブをPCとMacからクラウドに移行させる」と宣言した。iCloudはその中心となり、iCloudの下ではMacもiPhoneもiPadも単なる端末にすぎなくなるというのである。
TechCrunchは、その方向性を手放しで称賛する。Jobs氏がプレゼンの際に何度か口にした「ちゃんと動く」(It just works)と「自動的に」(Automatically)の2つをキーワードとして、「Appleはクラウドの再定義を図っている」と分析した。クラウドは現在、ユーザーが“どこかにある雲”を訪問してファイルを保存・探す場所として存在するが、この2つキーワードで、完全にバックグラウンドの存在となり、「ユーザーが意識することはない。魔法のようなもの」になるとしている。
Bloombergは、「PCとMacを単なるデバイスに格下げする」というJobs氏の言葉に着目した。コンピューターの歴史をたどりながら、70年代と80年代に、他社とともにパーソナルコンピューターの時代を構築したAppleは、これを自ら解体してデジタルライフの中心になろうとしている、と読み解く。
■好評価と囲い込み戦略への批判
アナリストの評判も上々だ。Piper JaffrayのGene Munster氏は、コンシューマをAppleの製品エコシステムに結びつけることができる、とGuardianにコメントしている。証券アナリストのコメントを集めた非公式AppleブログのTUAWは、「Appleはサービス分野でのイノベーションを続けている。iCloudは競合他社の既存クラウドサービスよりも優れている」(Credit Suisse)、「PCとの接続を不要にすることで、Appleはデバイスマーケットを4倍に拡大できるだろう」(RBC Capital)などの声を紹介している。
もちろんその一方で、批判もある。オープンソース界のオピニオンリーダー、Matt Asay氏はThe Registerのコラムで、「多くの人はサイロにとどまることができないし、とどまりたくないと思う人もいるだろう」とAppleの閉鎖的な囲い込み(サイロ)戦略を指摘する。
その上で、Appleのプライベートクラウドアプローチは「クラウドコンピューティングが約束するすべてを実現できない」「オープン標準は大きな市場を作るが、閉鎖的な標準は大きな企業を生む」と批判。「今後、クラウドを大きな市場にするには、個人用も企業向けも含めオープンにしていく必要がある」と主張する。
クラウド/デジタルハブ構想は決して新しいものではない。
Financial Timesは、Microsoftで最高ソフトウェアアーキテクトを務めていたRay Ozzie氏が3年前に書いた「デバイスメッシュ」メモを紹介する。このメモでOzzie氏は、ユーザーがメディアを一度購入し、たくさんあるデバイスからアクセスするという図を打ち出している。ちなみに、Ozzie氏はその前の2005年の社内メモでは「ちゃんと動く」という言葉も使っている。
そして今、Appleは、iCloudで最もこのビジョンに近いところにいるという。「iCloudは、ハードウェア、ソフトウェア、サービスの間の競争に大きなシフトをもたらす」とFinancial Timeは予言。既に2億台のiOS端末が世界にあることに触れながら、「Appleが一歩先んじた」と評価する。
■ネイティブアプリとWebの組み合わせ
クラウドサービス自体では、これまでGoogleやAmazonがリードしてきた。iCloudの分析記事では、特にAndroidで激しく競合するGoogleとの比較が目立っている。
The Registerは、AppleのクラウドはChrome OSでのGoogleのアプローチに似ていながらも、AppleにはWebがない点を指摘する。GoogleがWebアプリによりローカルアプリ(ネイティブアプリ)をなくそうとしているのに対し、Appleはネイティブアプリはそのまま自動で同期するのだ。
Appleはサードパーティ向けにiCloudにアクセスできるAPIを提供する計画だが、APIはネイティブアプリ向けであって、WebアプリではないだろうとThe Registerは予想する。そして「AppleはWebから分離して自分たちのオンラインエコシステムを作ろうとしている。それだけではない。開発者もJobs氏のエコシステムに向かわせている」と解説する。
また、TechCrunchも、WebのないAppleのアプローチが「GoogleとAppleを分ける基本的な違いになる」と見る。Appleが「クラウドを知らず、気にもしていないコンシューマ」を狙うのに対し、Googleはユーザーにクラウドというパラダイムの理解を求めている、と分析。「Appleは目に見えないWebが後押しするネイティブソフトウェアに照準をすえた。GoogleにはChrome OS、Androidがあり、立ち位置がわかりにくい」とする。
一方、iCloud戦略の完成度への疑問もある。Financial Times(FT)のブログTech Hubで、Richard Waters氏は、Appleデバイス以外では利用できないこと、Apple IDしか利用できずソーシャルな要素がないこと、などの欠点を挙げる。また、iCloudの利用を後押しするデータとしては、音楽、写真(端末のカメラで撮影)ぐらいしかなく、「Google、Facebook、Microsoftのほうが、(クラウドの)活用という意味では好位置にいる」という。
オンラインストレージサービスについて検証したNew York Timesは、WordやPDFなどへの対応が不明確な点、共有機能がない点などを短所として挙げている。
■デバイスメーカーの動き、企業への影響にも注目
iCloudは何を起こすのだろうか? FTのWaters氏は、デバイスメーカー側の動きが出てくるだろうと見る。スマートフォンメーカーなどがDropboxなどのクロスプラットフォーム型オンラインストレージサービスと組んで、自社デバイスに同期機能を付加することなどが考えられるという。
また、Computerworldは企業ITへの影響を予想する。“コンシューマリゼーション”のトレンドによって、コンシューマ向けのAppleの戦略は企業ユーザーにも大きな影響を与え始めているからだ。
よい影響としては、SMBなどが継続的な自動バックアップで効率化できることが考えられる。半面、iOSを利用するビジネスユーザーが、自動同期とバックアップで、企業データを社外に(それと知らずに)保存してしまう可能性も高い。また、クラウドに付きもののセキュリティ、ディザスターリカバリなどの懸念も出ている。
iCloudのサービス開始は秋で、まだ少し時間がある。ライバルたちがどう出るかも注目される。iCloudの発表が、FTの言うような「新しい競合の10年の正式な幕開け」になるのかは、これから徐々に分かっていくだろう。