レノボ・ラピン社長、「絶えず変革を続けていく企業に」
2005年、中国のPC企業であるLenovo(旧Legend)と米IBMのPC部門が統合し、新生Lenovoが発足した。同社は躍進著しい中国のPC市場で33.5%という高いシェアを誇り、その収益を基盤として全世界に事業を展開することで、発展を続けている。
日本ではレノボ・ジャパンが、IBM PCの法人向け高品質モデル「ThinkPad」の研究開発拠点である大和事業所(神奈川県)の蓄積も引き継ぎ、ユーザーの高い信頼を得てきたが、2009年も、長期化する景気停滞の影響を受け不振が続く日本のIT業界を尻目に、年率21.4%(IDC調査による)という高い成長を達成している。
今回は、レノボ・ジャパンの躍進の“ワケ”をロードリック・ラピン代表取締役社長に聞いた。
代表取締役社長のロードリック・ラピン氏 |
■製品ラインアップ、販売戦略、価格とすべてを変えた
―IT業界の経営環境が不振な中、レノボの業績は好調ですが、その背景には何があるのでしょうか?
ラピン社長
まず、当社には以前から非常に素晴らしい製品群がそろっています。大和事業所で研究開発された「ThinkPad」は、特に品質やデザイン性が重要視される日本市場においても、高い知名度を誇っています。これに加え、昨年は、お客さまの声、市場の動向を見て、製品ラインアップの大幅な拡充を図りました。SMB(中堅・中小企業)と大企業では求めている製品群が異なることがその理由です。また、コンシューマ向けの新製品群も立ち上げました。
―販売戦略についてはどのような方針で臨まれているのでしょうか?
ラピン社長
市場戦略を簡素化しました。以前は、お客さまにとってもパートナーにとっても、わかりにくく複雑でしたので、お客さま、パートナーの意見をもとに、どこがうまくいっているのか、どうカイゼンすればいいのかをヒアリングして、戦略を見直したんです。そしてその後は、市場に対してそれを徹底すべく、説明をしてきました。
また、価格戦略を見直すために、市場での価格設定の方法を徹底的に調査しました。5~6年以上前、当時「ThinkPad」はIBMの製品でしたが、市場ではプレミアム製品という位置付けで、価格もプレミアム価格になっていましたが、時がたつにつれて市場はコモディティ化が進んできました。これを受け、「ThinkPad」の品質はそのままに、個人ユーザー向けを中心に価格設定を見直しているのです。
そして強調したいのが、社内の改革です。この1年間、わたしは、社内にどういうスキルを持った人が在籍しているかを把握し、適材適所によって配置換えを行いました。
■「変わる」ことは本当に難しい
―経営のさまざまな面で変革を行ったわけですね。
ラピン社長
わたしは“人”は会社にとって最も大切だと考えています。個人個人の資質だけでなく、社風に影響してきます。「勝ち」を意識したカルチャーをどのように養成できるのか、真剣に模索しています。
企業には社員が会社に来て楽しく仕事ができるような文化が必要です。そのために、顧客や市場の声に耳を傾けるのと同様に社員の声に耳を傾けることが重要です。
そのため、日本に着任してすぐに、社員とのラウンドミーティングを開きました。12人ごとに行って、6カ月かかりましたが、社員全員と話をする機会を設けました。社員は顧客の一番近いところにいますし、会社のどこが優れており、どこが悪いのかを一番わかっているからです。
「変革」、つまり「変わる」ということは本当に難しいことです。このことについてわたしは最近読んで感銘を受けた「Change or Die」(「変化か死か」:Alan Deutschman著)をご紹介しておきます。人は、「変わらなければ死ぬ」といわれれば、簡単に「変わる」と答えます。しかし、実は「変われない」。本当に変わるためには「戦略でも、構造でも、企業文化でも、体制でもなく、問題の根幹はいつも、人の行動を変えることについてだ」と、この著者は語っています。
■コンシューマ向け新製品を順次投入、ワークステーションとサーバーにもフォーカス
―新製品についてお聞きしますが、レノボは今年1月のCES(Consumer Electronics Show)では多くの展示を行いました。
ラピン社長
CESでは、25の新製品を発表し、そして8つの賞を受けました。さまざまな意味で、当社の方向性を決めた機会だったと思います。一番の成果は、レノボは革新性に優れており、デザイン面でも優れている会社だというポジションを確立できたことです。
CESで発表した製品は今後、3カ月程度で日本市場に投入を予定しているものもあり、今年は製品ラインアップの拡充をさらに図っていきたい。同時にノートPCやデスクトップPCだけでなく、ワークステーションやサーバー製品にもフォーカスすることにより、より包括的なポートフォリオを構築していきたいと考えています。
また、それだけでなく、ニッチ市場でも注目される面白い製品を提供していきます。
■面白い、仕事が楽しめる会社に
―ところで、ラピン社長は日本通とお聞きしていますが、日本とのかかわりについてお聞かせください。
ラピン社長
高校生の時にオーストラリアと日本の交換留学生として来日したのが最初です。その後、福島県のスキー場では人事部などでアルバイトを経験しました。オーストラリア人はもともと、欧州にバックグラウンドを持つ人間が多いので、ふつう、大学生は欧州に行きますが、わたしはなじみのある日本に来ました。
この1年半の日本での生活はわたしのキャリア形成に大きな影響を与えました。その後、1992年に、オーストラリアで日系の著名なホテルのゲストリレーション・オフィサーとして勤務し、日本の“丁寧さ”や“おもてなしの心”を学ぶことができました。
―IT業界にかかわったのはその後ですか?
ラピン社長
1995年にDellに入社し、営業を担当しました。もともとコンピュータは好きでしたが、Dellでは韓国に駐在しましたし、Webビジネス担当や、日本でのグローバルビジネス担当などを務めていました。韓国では1997年~1999年にかけての“アジア金融危機”も体験しましたが、よい経験になりましたね。
レノボ・ジャパンに入社したのは、2006年のことです。
―今、日本の産業界は不振ですが、どのように感じておられますか?
ラピン社長
さまざまな企業があり、不振といわれる中でも伸びている会社もあります。日本だから、米国だからと一口にはいえないと思います。
ただ、わたしは個人的には日本が大好きですし、日本は体系だった“カイゼン”のアプローチが取れるビジネス基盤を持っており、これは各国と比較して得難い特性だと思います。
ただ、ビジネスマンとしてわたしが今、考えていることは、今年、当社を面白い、とにかく仕事を楽しめる会社にすることです。一例をあげると、当社には「わくわく隊」という社員がボランティアでつくったコミティーがあります。社員同士が同僚を表彰したり、残業時間を減らすための活動をしたりしています。
来月、当社は六本木ヒルズにオフィスを移転しますが、そのロケーションの選定も「わくわく隊」が実地検分して、お客さまをお連れするのにふさわしい場所、自分たちが働くのに快適な場所として選定しました。
このようにこれからも変革を恐れず、社員の力を結集して、絶えず変革を続けていこうと考えています。
2010/3/31/ 00:00