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AIが悪用される時代の「サイバー空間の治安」をどう守るか――シンガポール「SICW 2026」に見る脅威と対策の最前線

 シンガポール政府 サイバーセキュリティ庁(Cyber Security Agency of Singapore:CSA)は、10月12日~10月15日に同国のサンズエキスポ・コンベンションセンター(Sands Expo & Convention Centre)において、サイバーセキュリティ関連のカンファレンス「Singapore International Cyber Week(SICW) 2026」を開催した。

 実質的な初日となった10月13日には、オープニングセレモニーと基調講演およびオープニングパネルなどが開催され、ホスト国のシンガポールに加え、米国、欧州などの政府関係者などが参加したほか、日本からは内閣サイバー官 飯田陽一氏が参加。現在、世界が直面している、攻撃者がAIやエージェント型AIを活用した、より高度なサイバー攻撃への対応などに関する議論が行われた。

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講演を行うシンガポール政府 上級大臣 兼 国家安全保障担当 調整大臣 兼 内務大臣 K・シャンムガム氏

 また、併催されている展示会「GovWare Conference and Exhibition 2026」には、日米欧のセキュリティ企業などが参加し、サイバーセキュリティ対策のソリューションを展示していた。

国家戦略としてセキュリティを重視するシンガポール、AI悪用で脅かされる「サイバー空間の治安」

 マレー半島の先端にあるシンガポールは、1965年にマレーシアから分離独立した国家で、東京都23区とほぼ同じ面積という小規模な国家だが、オイルロードとも呼ばれるマラッカ海峡という地政学的に重要な場所を占めていることもあり、貿易や金融といった産業で、グローバル経済において重要な位置を占めている。

 そのシンガポールが近年力を入れているのが、ITだ。自動車などの大型の工業製品や重工業などは広い土地が必要になるため、面積では他国と比較しようがないシンガポールには難しいが、ITでは、半導体の工場などの場合は比較的小規模な工場で済み、何よりソフトウェア産業はそうした施設を必要としないため、シンガポールに適した産業になっている。実際、シンガポールにはAMDの後工程の工場やGlobalFoundriesのウエハー工場、SeagateのHDD工場などがあり、ITの観点で見ると、シンガポールは非常に重要な拠点となっている。

 そうしたこともあって、シンガポール政府も早くからIT産業の振興に取り組んできたが、近年力を入れているのがサイバーセキュリティへの対応だ。今回のイベントの主催者であるシンガポール政府 サイバーセキュリティ庁(以下、CSA)は、今から11年前の2015年4月に設立され、そのカンファレンスとなるSICWも今年で11回目を迎えるというほど、力を入れて取り組んできた。

 日本では、5年前の2021年に発足したデジタル庁がデジタル戦略を担う官庁になっているが、シンガポールでは、すでに11年前にサイバーセキュリティ専門の官庁であるCSAが発足していたことになり、どれほどサイバーセキュリティの対策に力を入れてきたかが理解できるだろう。なお、日本でサイバーセキュリティを専門に扱っているのは国家サイバー統括室(NCO)で、その設立は昨年(2025年)だ。

 昨今、日本でも大企業がマルウェアに感染して製品が出荷できなくなるなどのニュースが取りざたされている。また、先月・今月と、多くの企業で情報漏えいが発生していたことが明らかになり、サイバー攻撃が新聞やテレビのニュースにならない日はないというほどの日常茶飯事になっている。

 その背景としては、攻撃側も、フロンティアAIモデルと呼ばれる、人間の知性により近づいたAIモデルを使うようになるなど攻撃手法が高度化していること、それと同時に、エージェント型AIを活用して攻撃を自動化していることなどがあると考えられている。これまでの対策ではもう十分ではなくなりつつあるのが現状で、マルウェアへの感染や個人情報流出などのインシデントが連日発生しているわけだ。

 これは、サイバー空間の治安が悪化しているという状況を示しているといえる。仮に日常生活に置き換えてみれば、自分の家の近所で毎日窃盗事件が発生しているようなもので、もし現実でそうなったなら、ほかの地域に引っ越すことを検討するような状況だろう。もちろん、サイバー空間では引っ越すことは不可能なので、ユーザーが取り得る選択肢が「使わない」になることは容易に想像できる。

 そうしたことが起きないように、サイバー空間の「治安」(英語で言うとPublic Safety)を取り戻すことが重要になる。今回のSICWでは、攻撃者がフロンティアAIモデルやエージェント型AIを使う時代への対応などが議論されている。

CSA長官フォン氏が訴える国境を越えた連携

 SICWの主催者CSAを代表して、CSA 長官(Chief Executive)のグエンダ・フォン氏が冒頭にあいさつを行った。

CSA 長官(Chief Executive) グエンダ・フォン氏

 フォン氏は、今年のSICWについて「“サイバーは岐路に立つ、新しいサイバー秩序を形作る”が今年のテーマだ。このテーマは、デジタル世界で起きている出来事とそれにどう反応すべきかに対する、シンガポールの選択を示している。シンガポールは小国であり、グローバルな経済との関係の中で成立してきた。今やデジタル世界は国境を越えて基盤やサプライチェーンが構築されており、経済はそれに依存している。それは大きなメリットをもたらしているが、同時に国境の外から脅威がやってくるリスクに晒されている」と話す。

 そして、「皆がそれに対して対応しようとしているが、政府にせよ、クラウドサービス事業者にせよ、サイバーセキュリティ企業にせよ、自分に関係する部分を見ているだけで、全体は見ていない。そのため攻撃側は、システムやプラットフォームを横断して長期間活動し、そのメリットを得ようとしている状況だ。それに対抗して、複数の国や組織が異なる情報と専門性を持ち寄って対抗していく必要がある」と訴えた。

 つまり、サイバーセキュリティの脅威に対抗するには、一国、一企業、一個人で行う対策だけでなく、国家間、企業間、ユーザー同士など、さまざまなレベルで協力して行う必要があるというのだ。

 その上で、「今サイバーセキュリティの世界では、AIにより状況が変わりつつある。AIは、脅威が起きてから対応するといったこれまでのやり方を変えつつある。防御の観点では、AIにより、能動的な対策が可能になった。シンガポールのように、小国でも少ないリソースで高度な対策が可能になっている。その反面、AI自体も守るべきデジタル環境の一部になっている。AIエージェントがデータ、アプリケーション、ツールなどへのアクセス権を得るにつれて、新しい依存関係と脆弱性が生まれつつある。これまでのサイバーセキュリティは、何と何が接続しているかを理解する必要があったが、エージェント時代には、何が何に対して何を行うことができるか、どの権限で、どんな結果をもたらすのかを理解する必要がある」と述べた。AIがサイバーセキュリティ対策のやり方を変え、より高度な対策を行えるようにしただけでなく、新しい脅威を作り出しているという良い面と悪い面の両面があるのが現状なのだ。

 フォン氏は、そうした状況に対応するため、Google、Cloudflare、あるいはASEAN各国などと協調してトレーニングプログラムを提供するといった対策を行っていると説明。今回のイベントに集まった各国のサイバーセキュリティ担当者などに向かって、一緒に対策を行っていく必要性を訴え、協力を呼びかけた。

シャンムガム上級大臣が語る「新セキュリティ戦略2026」、AIの速度への対抗とデジタル分断の回避

 続いて、シンガポール政府 上級大臣 兼 国家安全保障担当 調整大臣 兼 内務大臣 K・シャンムガム氏が登壇し、ホスト国のシンガポール政府を代表してあいさつを行った。シャンムガム上級大臣は、シンガポールの法務大臣、外務大臣などを歴任したベテラン政治家で、シンガポール政府の要人の一人と言ってよい。

シンガポール政府 上級大臣 兼 国家安全保障担当 調整大臣 兼 内務大臣 K・シャンムガム氏

 シャンムガム氏は「昨年12月にはポーランドの発電所へのサイバー攻撃、韓国の通信事業者の重大なデータ漏えいなど、各国でさまざまなサイバー攻撃が多発している。我が国でも、携帯電話ネットワークへの侵入事件があり、"オペレーション・サイバー・ガーディアン"と呼ばれるプロジェクトを実施して対策を講じたが、これは通信事業者やパートナーと密接に連携した、史上最大規模のサイバー攻撃対応だった。攻撃者はそうした事例だけでなく、諜報と妨害の両方を目的として重要インフラを執拗に狙っており、我々は今後もこうした攻撃に直面する可能性が高いし、そう想定して計画しなければならない」と述べ、攻撃の頻度は上がっており、それに対する備えをさらにしていく必要があると指摘した。

 その上で「AIの急速な進歩が状況をさらに難しくしている。AIは攻撃者に速度、規模、高度さを与える。AIエージェントは遠隔操作され、意図しない行動をとり、重要なシステムを危険に晒しうる。AI攻撃型のサイバー脅威は起きるかどうかではなく、いつ起きるのかが論点だ。AIの活用を避けることはできないが、安全・安心な形で採用しなければならない。世界的に、エージェント型AIは安全策よりも早いペースで普及が進んでいる。すでにエージェント型AIが無許可のタスクを自律的に実行し、本来アクセスすべきでないシステムへアクセスした事例も起きている。今後さらにそうした事件が増えていくだろう」という点もあわせて指摘。

 「このため、我々は防御と、攻撃からの回復力を強化しなければならない。シンガポールでは、そうした脅威に対するために、国家規模で脅威と同等の速度で行動することを目指す"シンガポール・サイバーセキュリティ戦略2026(Singapore's Cybersecurity Strategy 2026)"を策定し、公表した」と述べた。

 シャンムガム氏は、この行動指針には、迅速に脅威を発見して防御システムを確立すること、国家サイバーセキュリティ・コマンドセンター(NC3)を設立するなど国家規模で行動すること、そして攻撃者が利用しているAIと同じ速度で行動すること、この3つが柱として掲げられており、今後この指針に従って、サイバー攻撃に対処していくと説明した。

 また、シャンムガム氏は「能動的な防御に転換しても、すべての攻撃を防ぐことはできない。だからこそ、皆さんの協力が必要だ。特にAIのような重要技術を巡り戦略競争は強まり、各国は国益を守るだろう、それはシンガポールも同じだ。しかし、各国が内向きに独立して行動するだけなら、我々が依存するデジタル・エコシステムは分断されてしまう。AI、半導体、通信などでその兆候はすでにある」という懸念に触れた。

 そして、「サイバーセキュリティは本質的に集合的な課題である。脅威は国境を越え、技術とインフラは複数の領域にまたがっている。どれほど能力のある国でも単独では守れないし、競争はあっても協力をすべて置き換える必要はない。すべてに合意できなくても、情報交換、インシデント対応、共通脅威対処、不安定化リスク低減のための実務協力を構築することが重要である。協力は政府間だけでは不十分だ。インフラの多くは産業が所有・運用し、必要な技術・インテリジェンス・専門性も政府外にある。ゆえに戦略は、政府・産業・学界・広いコミュニティの協力を推進していくことだ」と述べた。

 AIの覇権を巡って各国の綱引きが行われている状況の中で、シンガポール自身も国益を守る姿勢は見せつつも、協力するべきところは協力していくことが、結局は関係する国家群全体の利益になるのだという点を強調している。

パネル登壇の内閣サイバー官・飯田氏、AI活用の説明責任と信頼に基づく情報共有を提唱

 シンガポール政府のリーダー2人の講演の後は、各国の関係者などが参加したパネルディスカッションなどが行われた。

 「The Race to the Frontier - AI and the Future of Cybersecurity」(フロンティアAIレース-AIとサイバーセキュリティの未来)と題されたパネルセッションでは、日本政府から内閣サイバー官 兼 国家安全保障局次長 飯田陽一氏が参加。カナダ政府やフランス政府、AIモデル開発企業のAnthropicなどの代表者と、フロンティアAIモデルの普及でサイバーセキュリティ対策がどうなっていくのかなどに関して議論した。

「The Race to the Frontier - AI and the Future of Cybersecurity」と題したパネルディスカッションが行われた

 AIが悪用された時に、AIモデル開発者はデプロイ(展開方法)が不適切といい、企業などは「リスク開示が不十分」と主張する現状をどう考えているかに関して問われた飯田氏は、「答えは明確で、すべての利害関係者がAI利用に関する説明責任を負い、責任は双方で共有されるべきだ。AIモデル側は市場に出す前に開発、テスト、検証、評価を行う責任があり、市場投入後も意図した用途から逸脱しないように最善を尽くす責任がある。ユーザーにも説明責任があり、AIをなぜ使っているのかを外部に説明する責任がある。政府も同様で、AIの行動を適切な範囲に維持できることに責任を負う。国民や企業がAI採用に信頼を持てる環境を整える責任も、政府にある。よって、個人、企業、AIモデル開発企業、政府を含むすべての利害関係者が説明責任を負う必要があるのだ」と話した。

内閣サイバー官 兼 国家安全保障局次長 飯田陽一氏

 また、そのAIの導入に関しては「リスクと利益の両方を評価し、リスクよりも利益があると言う場合にだけAIを導入すべきだ」と述べ、国家にせよ、企業にせよ、そのAIを導入するリスクと、AIを導入することで得られるメリットをきちんと秤にかけて比較した上で、利益の方が大きいと判断できる時だけAIを導入すべきだという点を強調した。

 また、AIやサイバー攻撃の脅威に関する情報共有に関しては「情報共有には3つの類型がある。緊急なら完全に確定していなくても情報を出す技術的な情報の共有、信頼できるパートナー間で機密ではないがセンシティブな情報の共有、そして決まった枠組みの中で規定されている相手のみに共有する機密情報の共有だ。仮に知見が不十分であっても、枠組みを活用して共有するのがよい方法だと考えている。というのも、各利害関係者は異なる技能、知識、経験、能力を持っている。それらの情報を1つにしていくことで、最善ではないかもしれないがよい緩和策を見つけることができる。そのためには信頼に基づく共有が重要で、それが協働につながっていく」と述べる。

 さまざまな枠組みの中で、信頼できる国家同士、信頼できる組織同士が必要に応じて情報交換をしていくことが、結局サイバー攻撃へのよりよい対応ができるようになると考えているわけだ。

会場展示のトレンドはAIセキュリティ対策、今後はAIエージェント向けのセキュリティに注目

 なお、会場となったサンズエキスポ・コンベンションセンターの地下にある展示会場では、SICWと併催の展示会「GovWare Conference and Exhibition 2026」(以下、GovWare)が行われた。

 参加していたのは、AWSやGoogle Cloudなどのクラウドサービス事業者、さらには日本のトレンドマイクロ(B2B向けのブランドであるTrendAIを使用)やCrowdStrikeなどのグローバルなセキュリティ事業者、さらには東南アジアローカルに展開しているセキュリティ事業者などで、AIやエンタープライズのデータ漏えいを防ぐソリューションなどを展示していた。

 展示会場の参加メンバーは、米国でのセキュリティイベント「Black Hat」に似ており、Black Hatの展示会のシンガポール版といったような趣だった。

 その中で多く展示されていたのは、AIをどう守るかというソリューションだ。例えば、TrendAIはクラウドベースのB2B向けセキュリティソリューション「Vision One」の機能の1つとして、「AI Gateway」という機能を開発している。AI Gatewayを利用することで、エンドユーザーが許可されていない外部のAIモデルやAIサービスにアクセスするのを防ぎ、AIが意図していない動作をしている場合などに、それを検出して外部へのデータ流出などを防ぐこともできるという。

GovWare Conference and Exhibition 2026にはクラウドサービス事業者やセキュリティ企業、機器ベンダーなどが参加した

 なお、TrendAIは、9月にNVIDIAとの協業を発表しており、「NVIDIA Agent Safety Platform」とVision Oneの連携を明らかにしている。NVIDIAのNVIDIA Agent Safety Platformは、NVIDIAがオープンソースとして提供しているセキュリティランタイムであるOpenShellの仕組みを利用し、AIエージェントからは操作できないコンテナ型のセキュリティモジュールが、AIエージェントが想定外の動作をすることを防ぐ機能である。そうした仕組みを、TrendAIのセキュリティ機能に組み込むことで、システムレベルでAIエージェントが誤動作することを防ぐ狙いがあると考えられる。

 今後は、そうしたAIエージェントのセキュリティを確保する製品が注目を集めていくことになりそうだ。

TrendAIのVision OneのAIセキュリティ機能の説明

 そのほかにも、Google Cloud、Samsung Electronicsなどの事業者が出展しており、クラウドベースのセキュリティやオンデバイスAIのセキュリティなどに関するデモなどを行っていた。

Google Cloudブースでのデモ
Samsungブースでのデモ