ニュース

日本IBMの山口明夫新社長が会見、「従来のITだけを対象にしていては日本IBMの成長はない」

 日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM)は5日、東京・箱崎の同社本社にて、5月1日付で代表取締役社長執行役員に就任した山口明夫氏の、就任後初となる記者会見を行った。

日本IBMの山口明夫社長

 会見で山口新社長は、就任直後に日本IBMの新たなグループビジョンを制定したことを示した。

 新たなグループビジョンは、「最先端のテクノロジーと創造性を持って、お客様とともに、仲間とともに、社会とともに、あらゆる枠を超えて、より良い未来づくりに取り組む企業グループ」。

 「日本IBMは、82年間にわたって日本でビジネスを行ってきたが、その間、『社会とともに』という姿勢は常に欠かしていない。また私は、このメッセージのなかで『あらゆる枠を超えて』ということが重要であると考えている。IBMのなかだけで考えていても限界がある。1社でできる時代ではない。パートナーや顧客との連携が重要だ。この言葉については社員からの反響が大きい。この言葉を通じて日本IBMを変えられると思っている」と述べた。

 さらに、「お客様のデジタル変革をリード」「社員が輝ける働く環境の実現」「社会貢献の推進」の3つを、今後の重点分野に定めたことに言及した。

新たなグループビジョンと3つの重点分野

顧客の“デジタル変革をリード”する3つの取り組み

 重点分野のうち「お客様のデジタル変革をリード」では、「Open/As a Service/Industry Platform」「先進テクノロジーによる新規ビジネス共創」「IT人財育成」の3つの取り組みを挙げる。

この分野での3つの取り組み

 「Open/As a Service/Industry Platform」では、「業界ごとのプラットフォーム構築とエコシステムを展開するなかで、いま、お客さまのシステムについて、どこの部分について話をしているのかということをわかりやすくして、議論をしていくことが大切である。また、信頼性ということについてもIBMは重視している」と説明。

 AIへの取り組みを一例として挙げ、「IBMが開発するAIの目的は、あくまでも人間の知能の拡張であり、代替ではない。AIなどを通じて入手したデータや知見は、それらの創作者や所有者に帰属し、IBMはお客さまに所有権の譲渡を求めない。AIをはじめとする最新技術は企業や社会が理解し、信頼できるよう、透明性を持ち、説明可能なものでなければならない。いかなる人も、ブラックボックスを無条件に信用するよう求められるべきではないと考えている」などとした。

Open/As a Service/Industry Platformの推進

 2つ目の取り組み「先進テクノロジーによる新規ビジネス共創」では、「IBMには数多くの先進テクノロジーがある。例えば、この瓶のなかにはCPUが5つ入っているが、目に見えない。こうした技術を活用することで、新たな事業や新たなビジネスモデルを作りたい。待つのではなく、こちらから提案をしていくことに力を注いでいく」とする。

 ここでは、MITとの共同研究活動において、10年間で2億4000万ドルの投資を行っていること、慶應大学も参加しているIBM Qネットワークハブへの取り組み、IBMが持つアセットを利用し、企業の壁を超えた基礎研究コンソーシアムであるIBM Research Frontiers Instituteなどについて説明。「IBM Research Frontiers Instituteは、研究開発のアウトソーシンクのようなものである」と表現した。

先進テクノロジーによる新規ビジネス共創
5つのCPUが入っている瓶を持ちながら話す山口新社長

 3つ目の取り組み「IT人財育成」では、AI人財の育成を重視することを強調。顧客を対象に、初心者や上級者までの豊富な教育メニューを提供していることや、社会人や学生、障害者向けのAI講座を提供していること、デベロッパーと社員の共同学習などを行っていることを示した。

IT人財育成

社員向けの支援と社会貢献の推進

 2つ目の項目とした「社員が輝ける働く環境の実現」では、フリーアドレスやフレックスタイムなどの積極的な導入のほか、ダイバーシティの推進に力を入れていることを紹介。これまでにも、本社および幕張事業所に保育園を開設していたが、新たに小学生向けの学童プログラムを8月から開始する予定であるとした。

社員が輝ける働く環境の実現

 最後の重点項目とした「社会貢献の推進」では、IBMのテクノロジーと、社員のスキルやワークロードを活用することで、社会に貢献することを示し、IBM版海外青年協力隊ともいえる「Corporate Service Corps」や、被災地支援のボランティア活動、オープンソース技術による災害対策や復興ソリューションの開発を行う「Code and Response」などを紹介した。

社会貢献の推進

IBMはどこから来て、どこに行こうとしているのかということが伝わっていない

 さらに、山口社長は、「IBMはどこから来て、どこに行こうとしているのかということが伝わっていないという反省がある」と前置き。

 「1980年代はメインフレームの時代であり、ここでは、メーカーから製品を購入していた。1990年以降はオープン化の時代が訪れ、SIerからサービスを購入し、アウトソーシングが広がった。いまはクラウド時代となり、プラットフォームから必要な機能を利用するという形になってきた。このように時代は変わっているが、現場では、シフトしているのではなく、メインフレームが残り、オープンシステムを利用し、クラウドも利用している。つまり、複雑化しているのが実情である」との状況を指摘する。

 そして、「IBMは、クラウドの世界が第2章に入ったことを宣言している。これまでは、コストが安いといったこと、あるいは、企業がクラウドに対応していかなくては遅れてしまうといった危機感を背景にしたクラウド導入であった。だが第2章では、攻めの変革となり、ミッションクリティカルでも利用されるようになった。全体の80%のデータを活用でき、AIも活用できる。だが、これは将来に向けた通過点でしかない。数年後には、自動運転車が普通に走っている時代が訪れる。いまは課題はあるが、未来への期待がある時代でもある」との現状認識についても触れた。

IT活用の変遷

 さらに、「従来のITだけを対象にしていては、日本IBMの成長はない。いまは業界の枠が変化しており、テクノロジーが適用される範囲が広がっている。また、多くの企業において、テクノロジーを使って変革をしなくてはらないという要望が増えている。そのなかにいる日本IBMは、売上高が減るとは考えていない。伸ばしていくことになる」と語った。

山口新社長の経歴

 山口新社長は、1964年8月29日生まれ、和歌山県出身。1987年3月に大阪工業大学工学部卒業後、同年4月に日本IBMに入社。技術統括本部ソフトウェア技術本部 第三技術所に配属され、金融機関担当のエンジニアとしてキャリアをスタートした。

 「MVSやDB2など、OSとミドルウェアの問題を解析したり、新たな機能を開発したりといった仕事からスタートした。20代はシステムの中身ばかり見ていた。その後SEとしてのスキルを身につけた」と振り返る。

山口新社長の経歴

 1998年には、2000年対策室に異動。日本だけでなく、アジア全体における、2000年問題に関する非常時の対策立案などに従事したという。

 2000年2月には社長室経営企画、2002年1月にはサービス事業 ITS事業部 金融ITインフラサービス部長に就任。2004年4月にはソフトウェア事業.テクニカルセールス本部長、2005年7月に、米IBM ソフトウェア事業テクニカルセールス担当役員補佐を経て、2007年1月に理事 グローバル・ビジネス・サービス(GBS)事業 次世代金融システムプロジェクト担当、2009年7月には、執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業 アプリケーション開発事業担当、2012年5月には執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業. 金融サービス事業担当に就任した。

 金融分野の経験は、NECの新野隆社長、2019年6月に社長に就任する富士通の時田隆仁社長も同じだ。

 2014年10月には、常務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業本部 サービス事業統括担当、2016年4月には、専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業本部.アプリケーション・イノベーション・コンサルティング兼統合サービスソリューション&デリバリー担当、2017年1月に、専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業本部.サービスデリバリー統括兼クラウドアプリケーションイノベーション兼グローバル・バンキング・サービス事業部担当、2017年7月には、取締役専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業本部本部長に就任したほか、米IBMの経営執行メンバーに就任していた。3カ月に一度はニューヨークでの経営会議に参加しているという。日本IBMの日本人社長は、橋本孝之氏以来、7年ぶりになる。

 「外国人社長の期間は、プラスの部分がたくさんあったと思っている。変わらなければならない、新たなやり方をしなくてならないという意識が高まり、それがあったからこそ、顧客のデジタル変革に対応できる日本IBMに生まれ変わった。だが、コミュニケーションは、もう少し丁寧にする必要はあった。その点の課題は共有している。顧客やパートナーとの信頼関係は、いままで以上に強いものを築くことができる」とした。